日誌

2020年6月の記事一覧

申し訳ない(林 俊幹)

 昨日、午後7時に家に帰ろうとして、学校の玄関を出てグラウンドに目をやると、職員が刈った芝生の後始末をしてくれていました。
 教員の勤務時間は、午前8時から午後4時30分です。その前後の時間は残業になるのですが、教員の場合は特別で<教職調整額>と言われて、昭和41年度(1966年)の実態調査から、1週間の平均の超過勤務時間(残業時間)は2時間30分だっことから、給与の約4%を支給することとなりました。すなわち、教員には残業手当というものはつかずに、勤務時間の長短にかかわらず給与の4%が支給されます。それも今から50年も前に決定された残業手当で運用されています。
 これは、我々校長がもっと職員の待遇を考えて、県や国に賃金要求をしてやらなければならなかったためと猛省しています。

 教員の勤務状況を改善するためには次の2つだと考えます。
 ①教員の数(定数)を増やす。
 ②教員の給料を2倍(or1.5倍)に増やす。
①、②どちらも、予算がかかるので現実的ではありませんが。

 午後7時といえば、家庭では旦那さんや子供が夕食を待っている時ではないでしょうか?申し訳ありません。小見川中の職員!
   
ただ、若い男性職員が仲が良いことが救いです!!

本日の授業から(林 俊幹)

 今日はとても暑い1日です。各教室では、エアコンを稼働させながら授業を行っています。
   
左側;2年生技術。ダイオードを基盤にはんだごてで取り付けています。摂氏200度にもなるので、やけどをしないように集中して取り付けていました。
中央;3年保体の授業。体育館で、ダイエット・フィットネス界の「鬼軍曹」として君臨している。ビリーズブートキャンプ(Billy's Boot Camp)の授業。運動量の確保はこれでバッチリ。
右側;2年社会の授業。「太陽が沈まない国」そうスペイン王国について学習していました。

今日の6:50 (林 俊幹)

 本日の6時50分をお届けします。
  
左側と中央;1年生のフロアーです。きちんと窓が開けられており換気ができていました。小井戸先生が6時30分に学校に来て、窓を開けてくれたそうです。また、小井戸先生は、学年研修室で今日の授業の準備をしていました。小井戸先生は、昨年度は1年間大学に戻り英語の勉強をしっかりしてきた先生です。
右側;体育館に行くと、玉澤先生が一人で窓を開けて換気をしていました。玉澤先生は毎日、体育館と2年生のフロアーの換気をしてくれています。体の大きな先生で、この3月まで、体育大学のバスケット部に所属していました。

本日の授業から(林 俊幹)

  真夏日になりました。本日の授業を紹介します。
   
左側;1年生数学。正・負の数の足し算。符号と演算記号の呼び方に注意して学習を進めていました。(細かいところですが、大事なことです)(符号はプラス、マイナスで演算記号はたす、ひくと読みます)
中央;1年生英語。小井戸先生が心地よい”英語のシャワー”を生徒にかけていました。
右側;3年生社会。第1次世界大戦後の、ヴェルサイユ条約について学んでいました。


左側;3年理科。重力と垂直抗力について学んでいました。物理の基本中の基本です。ちなみに小林先生は大学の理学部物理科出身ですので専門家です。
右側;3年国語。とてもわかりやすい授業に生徒たちはうなずきながら学習していました。高橋先生は以前、香取の指導室長でもありました。(指導室長とは、先生方に国語の授業のやり方を教える人)
<保健の先生のコロナ対応>柳生先生、井田先生ありがとう。

6時50分 (林 俊幹)

 本日、午前6時50分の2年生と3年生の廊下です。玉澤朋美先生(2年生)、小林史先生(3年生)、山来智志先生(3年生)が廊下や教室の窓を開け、換気をしてくれていました。
 教員の勤務時間は午前8時からです。しかし、勤務時間ぎりぎりに来たのでは、生徒と温かい人間関係ができるはずがありません。ましてや、良い授業を展開することは夢物語です。
 こういう、若い先生方が本校にいるということは、”宝”だと思います。地道な行動の積み重ねがすばらしい教員になるのだと思います。本当にありがとう!