職員あいさつ

2018年10月の記事一覧

人生を豊かにしてくれた出会い

 

みなさんも、「趣味は何ですか?」と聞かれることがよくあると思いますが、私は迷わず、「音楽を聴くことと、楽器を吹くことです!」と答えます。上手い下手はさておき、今も社会人吹奏楽団で楽器を吹いています。

 

その出会いは1984年の夏に突然やってきました。ロサンゼルスオリンピック開会式をテレビで観ていた小学生の私は、その開会式テーマ曲に衝撃を受け、「楽器を吹いてみたい!」と思うようになりました。さっそく吹奏楽部に入部し、始めて吹いた楽器はトロンボーン。腕も短く、楽譜も満足に読めなかった私ですが、あのキラキラ光るボディを手にすると、嬉しさのあまり自然に笑みがこぼれてきたのを思い出します。

 

中学校に進学し、再び吹奏楽部に入部しました。今度はホルンを吹けることになりました。「カタツムリのような」あの管を全て伸ばすと3mを超え、思うように楽器が吹けないことに変わりはありませんでしたが、それまで以上に吹奏楽やオーケストラが大好きになっていきました。演奏した曲の中で当時を思い出させるのは、大河ドラマのテーマ曲「独眼竜政宗」でしょうか。

 

その後、熱は冷めるどころかますますのめり込み、高校でも吹奏楽部に入部します。コンクールや演奏会に向けて、勉強そっちのけで楽器を吹く日々。楽器を吹くことが楽しくて仕方なかったという記憶しかありません。当時大好きだったのは、映画「ウエストサイドストーリー」の曲。VHSのテープを擦り切れるほど飽きることなく観ていたのを思い出します。

 

その後も楽器は細々と吹き続け、現在に至ります。辛いことや悲しいこと、もちろん楽しい思い出のそばにはいつも楽器と音楽がありました。1984年のあの衝撃の出会いから30数年。楽器、そして音楽は今でも私の心の支えの一つです。

 

出会うもの、夢中になれるものは人それぞれです。私はそれがたまたま楽器や音楽でした。佐原小の子どもたちにも、自分を元気にさせてくれるもの、心を支えてくれるものに出会い、人生を豊かにしていってくれることを願っています。

いつまでも


平成2年(1990年)からテレビで始まった「ちびまる子ちゃん」。まるこちゃんの産みの親・漫画家の「さくらももこ」さんが、8月15日乳がんのため永眠なさいました。53歳という若さです。

私は、とぼけたおかっぱ頭のまる子ちゃんが好きです。さくらももこさんのエッセイ集を彼女の死をきっかけに、読んでみたくなりました。『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』を買ってみました。彼女の日常の家庭生活に、愉快なことがたくさんあったことが、エッセイから感じられました。彼女自身が「まる子ちゃん」だったのではないか、と思うようなエピソードもたくさん載っていました。水虫治療として、お茶っ葉に熱めの湯をかけてふやかしてストッキングに入れ患部を覆って寝て、1週間で水虫を治したという「奇跡の水虫治療」も載っていました。なんだか笑えます。

彼女の詩が、合唱曲にもなっています。私の好きな合唱曲です。佐原中学校の合唱部の生徒も歌っていました。~さくらももこの詩による女声合唱曲集より『ぜんぶ ここに』~より「ぜんぶ」という曲です。その詩をかみしめて読むと、今生きていることを大切にし、日常の小さな幸せを感じられる人でいたいと思います。学校で、家庭で、目の前の子どもたちと小さな幸せを一緒に感じていきたいです。さくらももこさんのこの詩に、作曲家の相澤直人さんが素敵な旋律をつけました。相澤さんの音楽講習会に行ったら、この旋律は、相澤さんが失恋をしたとき、ふと頭に浮かんだものだそうです。それがまた、美しい旋律なんです。興味がありましたら、聴いてみてください。 

さくらももこさんは、漫画、アニメ、エッセイ、詩、歌などで、ずっと生き続けますね。

 

 

「ざんねんないきもの事典」


 

 

 

 

「ざんねんないきもの事典」を読んだことがありますか。

 「ざんねんないきもの事典」には、一生懸命なのに、どこか残念な生き物について、多くのことが載っています。子どもたちも大好きで、多くの児童が読んだことがあるようです。大人が読んでみても、くすっと笑ってしまうほどおもしろく、「へー!」とおどろくほど勉強になる本です。

 その中でも、私が特に印象に残っているのは、ティラノサウルスについてです。ティラノサウルスはお肉を食べ過ぎて、「痛風」を患っていたような骨の変形が化石に見られるそうです。肉食獣として知られるティラノサウルスですが、ライオンなどとは異なり、尿酸を分解することができなかったそうです。「痛風」は、風が吹くだけでも痛いと言われるほどの病です。全長13mにもなるティラノサウルスが、風に吹かれて痛がる様子を想像してみましょう。・・・こわいですよね。現代人とも共通する病を患っていたということを知り、少し親近感がわいてきました。

 このような情報が1冊の本にたくさんまとめられています。ぜひ、手にとって読んでみてください。

 

 

 

秋を感じて

 校門を出ると、金木犀の香りがしてきて、秋の訪れを感じました。

周りを見渡すと、色づいた葉を落とし始めた「サクラ」、

赤い実をつけた「アメリカハナミズキ」、

実が割れて種を落としている「ツバキ」、

大きな実をつけた「ザクロ」、

木の実をたくさん落とした「コナラ」など、

秋を感じさせる木々が、

佐原小学校にはたくさんありました。

ドングリ(コナラ)   ツバキの実の殻と種    ザクロの実

    

 

 

 校庭を見回したとき、すべり台の後ろに大きく立つ木が目に入りました。「エノキ」と言われる木です。毎日見ているのに、私にとってはあまりなじみのない木だったので、調べてみました。

 木偏に春は椿(ツバキ)、秋は楸(ヒサギ)、冬は柊(ヒイラギ)、そして榎(エノキ)は、木偏に夏と書きます。文字通り夏の木とされていて、夏に涼しげな木陰をつくってくれる意味合いもあるようです。また、エノキという名の由来には諸説あり、①信長、家康、秀忠、家光のうちの誰かが、(マツ以外の)「余の木(ヨノキ)」を一里塚に植えるように命じ、これに応じる形で植えられたのがこの木であったため、ヨノキが転じてエノキとなった。②縁起の良い木を意味する「嘉樹(ヨノキ)」が転じてエノキになった、③秋にできる朱色の実は小鳥や森の生き物に人気が高く、「餌の木」からエノキになった、などの説があるそうです。

エノキの葉は生き物に人気が高く、オオムラサキやヤマトタマムシには欠かせない餌であったり、食べることのできる若芽は食糧難の時代には米と一緒に炊き込んで「糧飯(カテメシ)」として人間が食べたりしたこともあったそうです。また、エノキの実の皮は甘みがあり、昔の子どもはこれをおやつにしたともありました。実際に今のエノキの木の周りには、小さな実がたくさん落ちていますが、食べられる実には見えませんでした。

 

名前を知り、少し特徴を知ってみると、エノキの木

に親しみが湧いてきました。まだまだ知らない木がた

くさんあると思いますが、秋をさがしながら、また違

う木に出会ってみたくなりました。


私が感じる佐原小学校の変化の歴史

私は、佐原小学校を卒業し、教員としてこの学校に戻ってきました。大きく変わったことに驚いたり、変わっていないことに懐かしさを感じたりしています。そこで、約20年前と今の佐原小学校を振り返ってみたいと思います。
下の写真は、今、タイヤの遊具がある場所にあった大遊具での1枚です。この大きな遊具は、今はありませんが、当時は休み時間にたくさん子どもたちが遊んでいました。なくなって少し寂しい気持ちになりました。    

 

下の写真は、今の滑り台がある場所の昔の姿です。投擲板があって、ボールを投げたり、的あてをしたりした記憶があります。右下は現在の写真です。以前からあった遊具に加えて、クライミングやバスケットゴールができました。今も昔も子どもたちは、楽しく外遊びをしています。

 

 下の写真は、昔の運動会の応援席の様子です。今も昔も教室の椅子を外に持って行き、使用しました。今は熱中症対策としてテントが設置されるようになりました。

 

  

  上の2枚の写真は現在のプレイルームとトイレです。プレイルームは、子どもたちが大きな教室でのびのびと学習できす。トイレは、洋式トイレが多くなりました。

 このように、時代の移り変わりとともに、子どもたちが元気に学校生活を送れるように様々な教育環境が変化していることがわかります。これからも子どもたちの実態に合わせた指導の工夫をしていきます。