学校から

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香取の偉人 - 那智左傳(なち さでん) 3月10日(水)

 

 

 

 

 

 

 

 本校校長室に掲げてある木彫の書「水は方円の器に従う」です。旧神南小学校の昇降口に飾られていたことは、以前にも紹介しました。意味は「水は、入れ物の形に応じて四角にも丸にもなる。それと同じで人も友だちや環境によって善くも悪くもなる」です。書いたのは「存軒(ぞんけん)」を号とする渡邊操(わたなべみさお)先生です。渡邊操先生は、旧良文村(小見川)久保(旧小見川南小学区)に生まれ、自宅に「無逸塾(むいつじゅく)小見川高等学校の前身」を開き、地域の青年教育のために奔走しました。 ※写真は、明治34年ごろの無逸塾です。「佐原・香取の100年」より

 那智左伝先生は、この無逸塾に通った生徒の一人でした。

 那智左伝先生は、明治6年7月10日、香取郡府馬村に生まれました。名は敬典、通称は左典または左伝。那智家は代々神職で、もともとは紀伊国(和歌山県)那智で熊野大神に仕え、その後下総国府馬の荘、松沢の里に熊野大神を分祀(ぶんし)したので、現在の地に移ったとありました。(参考:濱 久雄著「那智惇斎の学問と思想」より)

 左伝先生は、明治19年に無逸塾で学んだ後に、二松学舎(にしょうがくしゃ)に入学し、漢学を学びます。明治27年卒業して助教となりますが、翌年郷里に帰り23歳の若さで私塾菁菁学舎(せいせいがくしゃ)を創立しました。しかし、わずか6年でこの学舎を廃し、再び二松学舎で教鞭(きょうべん)をとります。その後、大東文化学院(現大東文化大学)や実践女子専門学校(現実践女子大学)、駒澤大学などで教授または講師として教鞭をとりました。

 昭和18年、71歳の時に二松学舎専門学校第2代校長となりました。その後、昭和26年に79歳で二松学舎大学長、昭和30年に83歳で学校法人二松学舎理事長、昭和37年に90歳で学校法人二松学舎顧問・二松学舎大学名誉学長を贈られます。そして、昭和44年に96歳で第6代二松学舎長に就任しました。

 二松学舎は漢学の名門で、夏目漱石(なつめそうせきー小説家、評論家、英文学者、俳人)や嘉納治五郎(かのうじごろうー日本柔道の創始者として講道館を設立、東京師範学校[現筑波大学]の校長、旧制灘中学[現灘中・灘高]を設立)もここで学びました。

 二松学舎のホームページには、歴代の舎長が紹介されています。那智左伝先生は第6代です。第3代はかの有名な渋沢栄一です。第4代金子堅太郎は大日本帝国憲法や皇室典範の草案者であり日本法律学校(現日本大学)の初代校長、第5代は元総理大臣の吉田茂、第7代浦野匡彦(まさひこ)は、群馬県出身で群馬県文化協会初代理事長で、かの有名な「上毛かるた」の考案者ということです。

 この、そうそうたる顔ぶれの中に香取出身の那智左伝先生が名を連ねていることに、おおいに誇らしい気持ちになりました。

 ちなみに、那智左伝先生は、旧神南小学校に平成11年から13年まで在籍した那智栄美子教頭の曽祖父にあたります。

 那智栄美子先生には、私は個人的なつながりもあり、平成元年から数年間、O中学校の同じ学年で一緒に仕事をさせていただきました。私もまだ若く、国語指導の「いろは」を那智先生から教わった記憶があります。また、当時文部省の指定を受けた全国公開に向けて研究研究、指導案指導案の毎日でしたので、あのつらかった日々は忘れられません。しかし、あの時勉強した事柄が財産となって、今の指導にまで生かすことができていると思うと、「苦労は買ってでもしろ」ということわざの意味の深さを実感します。

 今日は那智栄美子先生に、ひいおじいさまの御功績を本校ホームページに載せてもよいかどうかの許可をいただくために、本当に久しぶりに電話をかけました。快諾していただけたので、掲載の運びとなりました。※栄美子先生ご自身のお名前を掲載することも了解を得ています。

 このようなつながりから、今回ご紹介させていただきました。

 わらびが丘小学校卒業生からも、左伝先生のような偉人が出ることを願ってやみません。(文責 海寳)

第2回学校評議員会を開催しました。  3月4日(木)

 昨日3月3日、第2回学校評議員会を開催しました。この日は6年生を送る会の日で、評議員の皆様にも授業の様子に加え、送る会の様子もご覧いただきました。授業参観後の評議員会議では、授業の様子、学校行事の様子、学校運営についてご意見をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 以下、委員の皆様からいただいた御意見です。

・コロナ禍の中でも「どのようにしたら、6年生のために会ができるか」「会をするためにはどうすればよいか」を児童と先生方がよく考え、素晴らしい会になっていたと思う。

・半年前に比べ、掲示物や学習環境、施設環境が整い、とても学校らしく素晴らしい環境になった。

・全校児童、職員が6年生を思い、風船の掲示物、素敵なプレゼント、学年発表、職員発表に取り組んでいたのは努力の成果だと思う。


 

 

 

 

 

・コロナ禍で多くの行事ができない状況が続いているが、ホームページも18万カウントを越え、多くの保護者、地域の方に学校の様子を発信し関心を示してもらっているので、次年度も情報発信を継続してもらいたい。

・これからもコロナ禍で不安を抱える児童が出てくると思われるので、先生方で協力して子どもたちを支えていただきたい。

・低学年では、少人数指導体制ができ、とても良い授業環境だと思った。次年度も少人数指導の先生に入ってもらい、指導体制を維持していただきたい。

 

 いただいたご意見をもとに、今年度の反省を踏まえ、次年度の学校運営に生かしていきたいと思います。                    (文責:中村)

 

 

幸せの生(な)る木 2月26日(金)

 職員室の外の廊下に「わらびが丘 こんな学校にしたい キラッ わらびっ子」というコーナーがあります。両端に、立派な幹をもち太い枝を張る木があります。向かって左側が、旧神南小のせんだんの木、向かって右側が旧福田小のきささげの木をイメージしたそうですが、私は勝手に「幸せの生(な)る木」と呼んでいます。1年かけて、たくさんの葉、たくさんの実、ひな鳥がくらすたくさんの巣が増えました。枝から下がっているのが実や巣です。下のほうに横に広がっているのが葉です。掲示担当のT先生とY先生の工夫です。

 

 

 

 それぞれに書かれているのは、お友達のよいところです。いくつかを紹介します。

 

 ・〇〇さんが、トイレのスリッパをそろえていました。(1年女子)

 ・〇〇さん、いつも友だちに漢字や計算を教えていて、やさしいなと思いました。(5年女子)

 ・きのう体いくのとき、わたしがドリブルリレーでまけた時、〇〇さんがなぐさめてくれました。(2年女子)

 ・〇〇さんが、だれにでも「ありがとう」というところがいいなと思いました。(4年男子)

 ・いつもぼくが病院にいった後に、「どうだった」と声をかけてくれてうれしかったです。(4年男子)

 ・〇〇さんは、自学の内容がすごいと思いました。(5年女子)

 ・2年生のみんなが、ずっとくつばこのくつをきれいにそろえていました。(2年男子)

 ・6年生の〇〇さんが、1年生とボールで遊んでいたのがやさしいなと思いました。(5年男子)

 ・6年生の〇〇さんが、ブランコを低学年にゆずっているのを見て、心が温まりました。私もやさしい6年生になりたいです。(5年女子)

 ・6年生が休み時間におりがみをおしえてくれました。(1年男子)

 ・〇〇さんへ いつも給食の時、当番の仕事を手伝ってくれてありがとう。(6年女子)

 ・〇〇さんが、バスを降りるときにゆずってくれてステキだなと思いました。(3年女子)

 ・6年生の〇〇さんが、先生に「おはようございます」と言って礼をしてあいさつをしていたのがいいなと思いました。(5年女子)

 ・5年生の〇〇さんが、授業を受けているときも姿勢がピンとしていて、いいと思いました。私も見習いたいです。(5年女子)

 

 友達のよいところを見つけ、その姿にあこがれ、いつでも感謝している様子が目に浮かんできます。そして、自分もそうなりたいという気持ちがわいてきたと、多くの児童が書いています。みんなの「誰かの役に立ちたい」思いとそれに感謝する思いが重なって、幸せの連鎖が続いています。「幸せの生る木」には、みんなの幸せな思いがびっしりと詰まっています。やがて、幸せの実は種を落とし、新たな芽を出します。ひな鳥は巣立ち、様々な場所に巣作りをすることでしょう。幸せの連鎖はどんどん広がっていきます。みんな光り輝いています。まさに「キラッ! わらびっ子」ですね。 (文責 海寳)

 

 

18万突破です。 2月25日(木)

 本校ホームページの閲覧数が、3月を待たずして18万カウントを突破してしまいました。毎月2万ペースで上昇推移していたのですが、2月2日に15万カウントを超えたとお伝えしてから、今月は3万超えのペースでした。ここ1週間、記事をアップしていなかったので、楽しみにして一日に何度も開いていた方には、たいへん申し訳なく思っております。前回もお伝えしましたが、3月末で20万カウントというのを、個人的には一つの区切りとしての目標に掲げております。今後も、様々な情報及び、子供たちの様子をアップしていきます。楽しみにしていただければ幸いです。よろしくお願いします。(文責 海寳)