学校から

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ペーパークラフトアート 7月27日(火)

 

 

 

 

 

 

 少人数指導員のK先生が、図書室前の掲示板を夏らしく飾ってくれました。驚くのは紙で作ったキャラクターたちのその精巧さです。手が込んでいます。いったいいつ作っていたのでしょう。この夏バージョンの前の、梅雨バージョンも素敵でした。「雨に濡れる紫陽花」がテーマでした。見どころは、雨粒の一つ一つまで細かく貼られていたことです。スズランテープを細く裂いて斜めに幾筋も貼り、そこに一粒一粒の雨粒を貼っていたのでした。

 今回の昆虫やキャラクター、そしてひまわりの編み込みなど、本当に細かな部分に先生の職人技が光っています。どこにどんな工夫があるのかをよく観察して、若い先生方はじめ児童の皆さんにもその技術を自分のものにほしいと思います。

 

 こちらは職員室前の壁の様子です。玄関から入って正面の場所です。  

 ここには、これから「わらびが丘 こんな学校にしたい キラッ!わらびっ子」と題し、わらびが丘小学校がこんな学校になったらいいな、という全校児童一人一人の思いを気球に乗せてはりだす予定です。現在Y先生を中心にして作成中です。完成をお楽しみに。 (文責 海寳)

 

芋苗成長日記5 7月27日(月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葉っぱがかなり大きくなった感じがします。少しずつ密集地が増えてきました。

 

 左の写真は学校の前の畑です。これぐらいになるにはあとひと月はかかるでしょうか。楽しみです。

 

 中学2年生の国語の教科書に「夏の葬列」(山川方夫作)という作品が載っています。真夏の芋畑を舞台にした、幼いころの出来事が主人公の人生を翻弄させてしまうお話です。偶然が偶然を呼び、それが最後には必然になってしまったかのような錯覚を起こさせる不思議なストーリーになっています。

 過去と現在を行き来する構成になっていますが、各場面の第1文が芋畑の様子を描写しています。クライマックスに差し掛かる場面の第1文は、

 「芋の葉を白く裏返して風が渡っていく。」

 最も印象的なフレーズです。

 このお話の中では「白」という色がひとつのキーワードになっています。熱く照り続ける白い真夏の太陽。遠くで白く輝く海。そのような日常の中に、非日常である葬列の白い装束。主人公のみが知る「白」に隠された秘密とは。主人公が幼いころ体験した悪夢のような事実(戦争中、疎開先でいつも自分をかばってくれた二つ年上の白いワンピースを着たヒロコさん。その日も芋畑の中で一緒にいたそのとき、突然やってきた艦載機の機銃掃射に動けなくなった自分をヒロコさんは必死にかばってくれたのに、恐怖の極限だった彼は逆にヒロコさんを突き飛ばして死なせてしまったという過去)をずっと重荷として避け続けて生きてきた自分。他の誰も知らない過去の事実。今は、エリートサラリーマンとして毎日を送っているが、ある日の出張帰りに、あの悪夢のような場所に戻ってきます。あの日と同じ芋畑を眺めることを一つの区切りとして、あの悪夢を自分の中に永遠に埋葬しようとしたのでした。ところが、新たな事実が発覚し、逆に二重の苦しみを背負うことになります。それは、ヒロコさんの死とともにそれが原因で亡くなったヒロコさんの母の死でした。結果、彼は二つの死を受け止めて生きていく覚悟を決めるのでした。それまで避け続けてきて、悪夢のような記憶を永遠に自分の中に封印しようとしたのに、逆に苦しみが倍になってしまったという悲劇。戦争の時代の、けっして特別ではなくありがちな日常のある一場面が、少年の人生を翻弄した読み応えのある小説です。

 「芋の葉を白く裏返して風が渡っていく」

 芋の葉の裏側に隠されていた白。風が、それまで隠れていたもうひとつの事実を白日の下にさらしたこと。いったんは「白いワンピース」を着たヒロコさんは自分が突き飛ばして死んだのではないのだと勘違いし、自分は無罪(シロ)だと軽はずみに思ってしまったこと。

 最後のどんでん返しを暗示するかのような巧みな表現として、しかも何気ない日常を切り取っただけの平凡な描写に込められた深い意味に、ついため息が出てしまいます。

 読むたびに何か新しい意味を見つけてしまいます。

 

 読書は、本との対話であり、著者との対話であります。古い本であれば、歴史上の人物との対話でもあります。そこにどんな意味を込めたのか。何を語ろうとしたのか。読み手は、作者の真意を探り、意味を知ろうとします。しかし、読み手は自分自身の経験と関連付けて新しい理解をすることで独り歩きを始めます。著者の意図と離れていきます。

 読書とはそんなものだと思います。それぞれが、それぞれの感じ方や考え方を持つことで良しとする。これからの「正解のない課題に対して、ひとりひとりが納得解や最善解をもたなければならない」時代に、最低限必要なスキルとなるはずです。

 話が長くなり、しかも全く関係ないところに飛んでしまったことを深くお詫びします。芋苗は順調に育っていました。 (文責 海寳)

 

 

 

 

 

 

2030年の社会とは① 7月22日(水)

 「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後に、今は存在していない職業に就くだろう」

 

 これは、2011年8月7日のアメリカの新聞「ニューヨークタイムズ」紙のインタビュー記事で、キャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学大学院センター教授)が語った言葉の一部です。

 このほかに、

 「今後10~20年程度で、約47%の仕事が自動化される可能性が高い」

 (マイケル・A・オズボーン氏 オックスフォード大学准教授)

など、社会構造が大きく変化することを予測した意見が同じ時期に目立つようになりました。

 2011年に小学校に入学した子供が大学を卒業するのは2027年です。今年は2020年なので、7年後ということになります。

 現在の6年生にあてはめれば大学1年生、1年生なら中学2年生になります。もうすぐです。    

 確かに、AI(エーアイ=人工知能)の発達により、身の回りの様々なことが一層便利になってきています。

 「Society(ソサイエティ=社会)5.0」という言葉もよく耳にします。Society1.0は狩猟社会、2.0は農耕社会、3.0は工業社会、4.0は情報社会、そして、次に来るのが「超スマート社会」と言われています。現在はもうすでにそこに足を踏み入れているかもしれません。「スマホ」(スマートフォン)は、だれもが普通に持つ時代になっているのですから。自動車も文字通り「自動運転」がすでに実用化されています。人が操作しなくてもAIが操作してくれるようになってしまっています。

 そのような現実を考えれば、65%の新しい職業というのはあながち間違いではない気がします。皆さんはどうお考えですか?

 

 小学校では、今年から新学習指導要領が全面実施されています。

 学習指導要領とは、全国どこの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省が学校教育法に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めたものです。10年ごとに改訂されます。

 学習指導要領では、小学校、中学校、高等学校ごとに、それぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を定めています。これらを基本にして、学校では地域や学校の実態に応じて教育課程を編成しています。

 

 今回の改訂では、これまでと大きく変わったことがあります。

 それは、「何を理解しているか、何ができるか」「理解していること・できることをどう使うか」の先に「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という新しい時代に必要となる資質・能力の育成がクローズアップされたことです。

 そこには、

 「人工知能が進化して、人間が活躍できる職業はなくなるのではないか」

 「今学校で教えていることは、時代が変化したら通用しなくなるのではないか」

といった疑問や心配が背景にあります。

 

 長くなりそうなので、この続きはのちほど。 (文責 海寳)

折り紙アート 7月21日(火)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 保健室前の掲示板を折り紙アートが飾っています。

 学校保健支援員のS先生が作成してくれています。キャラクターから小物まで一部を除いてすべて折り紙でできています。時期に応じて変わっていくので、次はどんなテーマなのか子供たちも楽しみにしています。

 子供たちの間でも折り紙がプチブームで、昼休みの保健室や、学級でも一心不乱に折り紙を折っている姿を見かけます。集中しています。折り紙は日本の伝統的文化の一つと言えます。

 折り紙は、江戸時代以前からあったようですが、庶民に親しまれるようになったのは江戸時代からだそうです。現在では、「ORIGAMI」として世界各地に広まり、世界中に愛好家がたくさんいるそうです。

 日本には、昔から「たたむ」文化がありました。毎日寝具をきれいにたたんで押し入れに入れます。和服も端をそろえて方形(四角)にたたみ箪笥に仕舞います。和室の畳(たたみ)も元はたたんだものなのだそうです。「たたむ」ことは「整理する」ことを意味します。これは水田稲作を主とした農民の勤勉さからきたものだと言えるでしょう。(参照「おりがみの歴史」より)

 日本の昔からの住居には、さまざまな「間(ま)」があります。茶の間、居間(いま)、床の間(とこのま)、寝間(ねま) ※寝間着(ねまき)   などです。「すき間」も間のひとつです。「間」は襖(ふすま)1枚で仕切られていますが、襖を取り払うと「広間」になります。用途に合わせて自在に広さを変えられる柔軟で便利な作りです。建物を有効に活用しようとする工夫がここには見られます。

 ちなみに、襖(ふすま)はもともと「衾(きん)」という字だったそうです。「衾」は「布団(ふとん)、寝具(しんぐ)」をあらわし、寝所(しんじょ、ねどころ)は「衾所(ふすまどころ)」といわれていました。そしてこの字は、中国から伝来したものではなく、日本でできた文字なのだそうです。さらに、「ふすま」という読み方は、寝所をあらわす、文字どおり「臥す(ふす)間」から来ているという説が有力です。

 風呂敷の文化も「間」と似たところがあるかもしれません。用途に合わせてさまざまに形を変え、いろいろな場面でとても重宝する便利グッズです。「包む」という、これも古来から日本で発達してきた文化の一つです。環境問題から端を発したレジ袋の有料化によりエコバッグやマイバッグが増えてきていますが、使わない時にはたたんでコンパクトに持ち歩ける風呂敷も、今あらためて見直されています。

 折り紙は、「折る」ことで平面から立体に自在に形を変えていきますが、広げれば元の平面に戻ります。この「素材の良さを生かして様々に形を変える」「形を変えても元に戻せる」柔軟性こそが日本人の持って生まれた資質なのかもしれません。

 折り紙で、柔軟な思考力や想像力を育んでほしいと思います。 (文責 海寳)

 

授業に力が入っています③ 7月20日(月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真は、左上から順に5年生の算数「小数の割り算」~小数どうしの割り算の方法~、6年生国語「パネルディスカッションで伝えよう」~防災をテーマに~、1年生図工「はじめての生活画」~しゃぼんだまとんだ~、6年生理科「成長と水の関わり」~ホウセンカの水の吸い上げ~ です。子供たちは皆真剣です。授業に集中している様子がわかります。例年であれば、気分は夏休みですが今年は違います。あと3週間、先生方には楽しくてわかりやすい授業をよろしくお願いします。子供たちも授業を楽しみにしています。 (文責 海寳)