学校から

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第2回校内研究会を行いました。 11月4日(金)

 令和4年度第2回目の校内研究会を行いました。講師の先生は、第1回と同じく、千葉県教育庁北総教育事務所の久保木主席指導主事です。

 1年、2年、5年の3学年が算数の授業展開をしました。

 この校内研究会は、教員の指導技術を高めるための研究の一環として年2回行っています。

 本校の今年度の研究テーマは、「わかる楽しさ、できる喜びを実感する算数授業の工夫」です。とくに、考えを書いたり説明したりするなど、アウトプットすることに主眼を置いています。

 

 

 

 

 

 

 授業では、終わりのチャイムが鳴っても「もう終わりぃ~?」「もっとやりたい」などのつぶやきが子供たちから出ていました。楽しくてわかりやすかったのでしょう。次の授業を楽しみにしていてください。

 

 

 授業終了後の研究協議会では、授業の良かったところを赤い付箋に、課題を青い付箋に貼って、学習問題の文言や指示の仕方、一人一人の見取りの方法まで、参観していた先生方からたくさんの貴重な意見が出されました。全員で共有することにより、次の授業に落とし込んでいくことになります。

 

 講師の先生からは、子供たちの授業への集中度や取り組みの真剣さについてお褒めの言葉をいただくとともに、指導法について、具体的かつ的確なアドバイスをいただきました。いただいた指導を今後の指導に役立てていきたいと思います。 (文責 海寳)

 

校内環境整備をありがとうございます。 10月25日(火)

 本校作業士のKさんは、児童の安全確保のために、敷地内の草刈りや樹木の剪定を1年を通じて計画的に進めています。おかげで、私の出る幕はありません。すべてやってくれるからです。Kさんの仕事を奪ってもいけないので、なるべく手は出さないようにしています。

 

 

 今朝も、すでに作業が始まっていました。グラウンド奥のオオムラサキです。5月の運動会前に切ったきりなので、枝が伸び放題になっていました。

 枝も太くなっていたので、刈り込みばさみだけでなく、ノコギリも使いながらの作業です。でも、手慣れたもので、どんどんきれいになっていきます。無理のないよう、お願いします。いつも助かります。

(文責 海寳)

 

 

 

※昇降口横の芝アートのメンテナンスもKさんがやってくれています。皆さん気づいているでしょうか?

「ちょっと」 10月13日(木)

 25年ぐらい前の話です。

 その頃は、中学校に勤務しており、学校全体の生徒指導主任を任されていました。

 その日も部活動の朝練習を終え、職員室に向かって歩いていました。そのとき、中3の担任の先生が近づいてきて、次のように言われました。

 「うちのクラスの生徒が、昨日の帰りに駐輪場で〇〇くんに蹴られたと言ってます。何人かも現場を見ています。どうしましょうか?」

 「わかりました。昼休みに訊(き)いてみます」

 加害者の生徒は、私の部活の部員でした。チームのエースとして活躍している生徒です。ただ、少し気が短くやんちゃな面もあったので、彼のクラスの担任ではなく、私が話を聞くことにしました。担任にも了解を得ました。

 

 昼休みに当人を相談室に呼んで話を聞きました。

 「昨日の帰りに、駐輪場で誰かを蹴らなかったか?」

 「えっ⁉ …やってません」

 「本人からの訴えがあったし、その場を見ていた人も何人か確認したけど…」

 「 … 」

 「よく思い出して」

 「やってません」

 「ほんとに?」

 「はい、ぜったいやってません」

 「そうか… 」 (困ったな)

 「 … 」

 「ぜったい?」

 「はい、ぜったいです!」

  ・・・

 (しばらく沈黙)

  ・・・

 「んー、ちょっとやったかもしれない?」

 「 …… えーと、ちょ、ちょ、ちょっとやったかもしれません」

 「なにをやったの?」

 「ちょっと、あしを、その、けったかもしれません…」

 「そっか、思い出してくれてよかったよ」

 「はー、すいません…」

 「◯◯のことは部活では大黒柱として信頼してるし、事実を聞いた時には『そんなはずはない』と思ったんだけど、よく思い出して正直に認めてくれてよかったよ。◯◯がそんな人間ではないことはよく知っている。なにか事情があったのか? でも、やったことはよいとは言えないな」

 

 担任の先生のもとに連れていき、結果を報告した後、当該学年にその後の指導(謝罪と反省)を託して指導を終えました。

 

 この、エピソードはいくつかの学校の保護者会で何度か話したことがあります。保護者は一様にうなずきながらよーく話を聞き、最後に温かな微笑みで受け止めてくれました。

 子供には、中学3年生でもこのような一面があります。当然、うそをつくこともあれば、隠すこともあります。うそをうそで塗り固めることになって、あとに引けなくなってしまうこともあります。最後には、どこでどんなうそをついたのかもわからなくなってしまいます。ごちゃごちゃになってしまうのです。よくありました。

 そうなってしまうと、うそをついている本人が苦しくなってしまいます。学校は警察ではありません。認めて反省し、もうやらないと約束しさえすれば指導は終わりです。再び繰り返すケースもありましたが。

 被害者を救済することが最優先ですが、うそをついて引っ込みがつかなくなった子供を救うことも大切です。

 このケースでは、「ちょっと」が効果を発揮した事例と言えます。子供の中では「完全にやった」のではなく、「ちょっとやった」くらいの意識のレベルなのです。だから、「やってません」と言い張るのです。子供の論理です。しかし、このことも認めたうえで次に進まなければなりません。  

 いろいろなことがあります。 

 

 谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)というかなり有名な詩人がいます。

 私も大好きです。なぜかというと、言葉にできない微妙な心の揺れやひだを、平易(へいい)な言葉で見事に表現するからです。

 

 彼の作品の一つに「うそ」という詩があります。

 かつて教育相談を学んだ中で、ある臨床心理学の本で紹介されていて知りました。

 それは、詩の中の一部(ほんの3行)でした。

 

         (前略)

   いっていることはうそでも

   うそをつくきもちはほんとうなんだ

   うそでしかいえないほんとのことがある

       (後略)

             (谷川俊太郎「うそ」より)

 

 子供の心理を見事についていると思いませんか? 

 大人にもグサッとくる気がします。 (文責 海寳)

10月は「目」をいたわりましょう。 10月13日(木)

 10月10日は「目の愛護デー」でした。10と10の数字を横に倒すと、まゆ毛と目の形に見えるからだそうです。10月1日はメガネの日だそうです。

 

 本校の今月の保健目標も「目を大切にしよう」です。ほけんだより10月号の裏側には、目を守るためのいくつかのアイデアが紹介されています。

 ① タブレットを使うときには、画面と30センチの間をあけましょう。

 ② 30分使ったら、遠くの雲や木を見て、目を休ませましょう。

 ③ 毎月0のつく日をノーメディアデーにするなど、タブレットやスマホを見ない日を作るのもいいかもしれません。

 

 目の健康チェックをしっかり行って、視力が落ちないように気をつけましょう。 (文責 海寳)

 

失敗から学ぶ 10月12日(水)

 かつて勤務した学校で、次のようなことがありました。

 

 私が教務主任として、入学式の司会進行を務めていた時です。

 その年の入学式当日は気温が低く、前日の天気予報でも「明日は暖かい服装で」としきりに伝えてました。

 入学式の会場準備を進める中で、会場である体育館の暖房器具の設置をどうするか検討になりました。

 しかし、入学式には例年ストーブは設置していません。3月末をもって、すべて収納してしまうからです。灯油についても、3月中にすべて使い切ることになっています。灯油もないのです。

 結局、「気温が低いことは皆わかっているのだから、寒さ対策は当然してくるだろう」ということで、例年通り暖房は設置しないこととなりました。

 

 当日の朝、入学生の保護者が体育館に集まってきました。多くの方はひざ掛けやショールを用意して、寒さ対策をしていました。しかし、3割くらいの方は春用の薄手の洋服だけで、式の中盤から寒がっている様子が見られました。

 

 入学式が1時間ほどで終わり、入学生は退場して各教室に向かいました。

 保護者はその場に残り、第1回目の保護者全体集会です。学年主任がいくつかの説明をしました。時間にして約15分ほどです。寒さで震えている保護者が何人もいます。

 「なんとかしよう」

 そう思い、体育館の倉庫の奥に収納したジェットヒーターの中で、灯油が少し残っていそうなもの(ヒーターをゆすり、ちゃぷちゃぷ音がするもの)を探し、1台を引っ張り出しました。集会が終わって教室に行く前に、少しでもあったまってもらおうと思ったからです。

 

 集会の終わりを見計らって、動線上にジェットヒータを移動し、点火しました。

 「ゴォーッ」という音とともに、真っ赤に燃える火が熱を吹き出しました。

 「よしっ!」

 

 心の中では、寒さに震える保護者が寄ってきて、火にあたりながら

 「あったか~い、ありがとうございます」

 そんな声を少し期待していました。

 

 ところが、期待は見事に裏切られます。

 

 最初に通りかかった、ある若い母親がひとこと、

 

 「いまごろおそいよ」

 

と、隣を歩いていたもう一人の母親につぶやいて、火にあたることもなく通り過ぎていきました。

 

 うちのめされました。

 

 事情を知らない保護者はそう思うのが自然です。

 「あるんだったら最初から出しとけよ」

 多くがそう思ったことでしょう。

 

 けれども、実際には灯油もほとんどないのです。底にたまったちょっぴりの灯油を無理やり燃やしたのですから。燃焼時間は2分ぐらいでしょうか。

 

 このとき、「過剰なサービスは不満しか生まない」と学びました。

 

 ただ、そのあとから来た数名の母親は、火にあたりながら

 「あ~、あったまる~」

と言って喜んでいたことに、少し救われた気がしました。 

 

 いろいろなことがあります。すべて学びになっています。 (文責 海寳)