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学校から
10月は「目」をいたわりましょう。 10月13日(木)
10月10日は「目の愛護デー」でした。10と10の数字を横に倒すと、まゆ毛と目の形に見えるからだそうです。10月1日はメガネの日だそうです。
本校の今月の保健目標も「目を大切にしよう」です。ほけんだより10月号の裏側には、目を守るためのいくつかのアイデアが紹介されています。
① タブレットを使うときには、画面と30センチの間をあけましょう。
② 30分使ったら、遠くの雲や木を見て、目を休ませましょう。
③ 毎月0のつく日をノーメディアデーにするなど、タブレットやスマホを見ない日を作るのもいいかもしれません。
目の健康チェックをしっかり行って、視力が落ちないように気をつけましょう。 (文責 海寳)
失敗から学ぶ 10月12日(水)
かつて勤務した学校で、次のようなことがありました。
私が教務主任として、入学式の司会進行を務めていた時です。
その年の入学式当日は気温が低く、前日の天気予報でも「明日は暖かい服装で」としきりに伝えてました。
入学式の会場準備を進める中で、会場である体育館の暖房器具の設置をどうするか検討になりました。
しかし、入学式には例年ストーブは設置していません。3月末をもって、すべて収納してしまうからです。灯油についても、3月中にすべて使い切ることになっています。灯油もないのです。
結局、「気温が低いことは皆わかっているのだから、寒さ対策は当然してくるだろう」ということで、例年通り暖房は設置しないこととなりました。
当日の朝、入学生の保護者が体育館に集まってきました。多くの方はひざ掛けやショールを用意して、寒さ対策をしていました。しかし、3割くらいの方は春用の薄手の洋服だけで、式の中盤から寒がっている様子が見られました。
入学式が1時間ほどで終わり、入学生は退場して各教室に向かいました。
保護者はその場に残り、第1回目の保護者全体集会です。学年主任がいくつかの説明をしました。時間にして約15分ほどです。寒さで震えている保護者が何人もいます。
「なんとかしよう」
そう思い、体育館の倉庫の奥に収納したジェットヒーターの中で、灯油が少し残っていそうなもの(ヒーターをゆすり、ちゃぷちゃぷ音がするもの)を探し、1台を引っ張り出しました。集会が終わって教室に行く前に、少しでもあったまってもらおうと思ったからです。
集会の終わりを見計らって、動線上にジェットヒータを移動し、点火しました。
「ゴォーッ」という音とともに、真っ赤に燃える火が熱を吹き出しました。
「よしっ!」
心の中では、寒さに震える保護者が寄ってきて、火にあたりながら
「あったか~い、ありがとうございます」
そんな声を少し期待していました。
ところが、期待は見事に裏切られます。
最初に通りかかった、ある若い母親がひとこと、
「いまごろおそいよ」
と、隣を歩いていたもう一人の母親につぶやいて、火にあたることもなく通り過ぎていきました。
うちのめされました。
事情を知らない保護者はそう思うのが自然です。
「あるんだったら最初から出しとけよ」
多くがそう思ったことでしょう。
けれども、実際には灯油もほとんどないのです。底にたまったちょっぴりの灯油を無理やり燃やしたのですから。燃焼時間は2分ぐらいでしょうか。
このとき、「過剰なサービスは不満しか生まない」と学びました。
ただ、そのあとから来た数名の母親は、火にあたりながら
「あ~、あったまる~」
と言って喜んでいたことに、少し救われた気がしました。
いろいろなことがあります。すべて学びになっています。 (文責 海寳)
校門に不審な跡が… 10月11日(火)
今朝、登校指導をしているときに、正門とフェンスの上部が泥まみれになっていることに気づきました。
以前、昇降口前の水飲み場上部のタイルが泥だらけになっていたことがありました。そのときは、はっきりと小さな靴の足跡があったので、すぐに見当がつき、一件落着となりました。
今回は、泥の汚れ方がかなりひどい状況です。加えて高さもあるので、「昔の子ならいざ知らず、今の子に上れるかな?」と、やや疑問を持ちました。
ちょうど、九美上駐在所の方が、朝の交通安全指導で来ていたので、様子を確認してもらいました。休日の夜中に、不審な人物が学校に何かをしているかもしれません。
「もし、ほかにも様子がおかしいところがあれば連絡してください」
そう言って、戻っていきました。
正門のコンクリートの上のくぼみをよくみると、落花生の割れた殻がいくつかあります。
足元を見ると、鳥の糞らしきものも点々としています。
犯人がわかりました。
犯人はカラスでした。
そういえば、今朝、玄関前にも落花生の殻がいくつか散乱していました。
目の前が、収穫を終えた落花生畑だったのです。畑でつまんだ落花生を、道路を隔てた正門の上でついばんでいたのです。雨上がりだったのでしょう。泥はすべて畑の土でした。確かに、グランドの土よりも粒子が細かく、教頭先生が水で流して落とすのも一苦労でした。一件落着しました。
連休明けの朝の一コマでした。 (文責 海寳)
「目をかける 手をかける 声をかける」(その2) 10月11日(火)
「目をかける 手をかける 声をかける」
これは、子供によって、時期によって、そしてタイミングによってどれを選択するか、という教師側の判断がそこに伴っています。子供の成長の度合いを測って、何が一番必要かを考えるのです。
目はかけているけど声はかけない、声はかけるけど手はかけないなどです。全てかける場合もあります。それは状況次第で決まります。
大規模校に勤務していたころの実践ですが、小規模校の部類に入るわらびが丘小などではなかなか難しいかもしれません。なぜなら、一人一人がよく見えるので、「すぎてしまう」ことが往々にしてあるからです。「すぎてしまう」とは、目をかけすぎてしまう、手をかけすぎてしまう、声をかけすぎてしまう、という弊害です。子供は時期により、あるいは子供により「放っておかれる(やや語弊はありますが)」ほうが自立してたくましく育つ場合があります。大人は経験上、子供の様子を見て、失敗することを見通せるので「転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)」よろしく、事前に伝えて失敗を回避させてしまいます。もちろん、交通事故など重大なダメージにつながる場合はそれも必要ですが、のちの良い経験となりうる軽微な失敗は「学び」につながります。「あのとき、こうやって失敗したから、今回は~しよう」という「察知」(さっち)につながります。
終業式で手渡された「あゆみ」には、担任の先生による見取りが所見として記入されています。担任の先生方は、ほんとうに細かな部分までよく見ています。また、「がんばりマスター」もそうです。がんばっている部分をよく見取っています。
後期にも、様々な場面での見取りをもとに、「目をかけ 手をかけ 声をかける」指導を各学級担任はじめ全教職員で心掛けていきます。
後期もどうぞよろしくお願いします。 (文責 海寳)
「目をかける 手をかける 声をかける」 10月7日(金)
先日、SNSの記事で見つけた言葉を紹介します。
「子育て四訓(しくん)」といい、山口市の教育委員長だった緒方甫(おがたはじめ)先生の「心を育てる子育て」についての言葉であるとありました。
幕末の維新の志士に影響を与えた吉田松陰を輩出した地であることから、平易な表現でありながら、含蓄のある言葉であると思いました。
のちに渋沢栄一の有名な夢七訓のもとになったのではないかとされる吉田松陰の言葉にもどこか似ています。
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に、夢なき者に成功なし
吉田松陰
25年ほど前に、中学校の生徒指導担当を任されていたころ、夏休み明けの9月の目標として、先生方に向けて次のような目標を提示しました。
「目をかける 手をかける 声をかける」
これも、当時読んだ書物の中にあった表現を参考にして提示したものです。「子育て四訓」を目にして、すぐによみがえってきました。
この言葉も、各学級担任の先生が、自分のクラスの生徒を目に浮かべて、どうかかわればよいかをイメージさせるのに有効であったと記憶しています。
何をかけるのかは生徒によって違います。どの程度かけるのかも違います。
「◯◯を〜しましょう」という目標はよくありがちですが、範囲が限定されてしまい、あるいは漠然としすぎて訴えかける強さがありません。
昔のことを少し思い出したついでに書かせていただきました。 (文責 海寳)