学校から

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校門に不審な跡が… 10月11日(火)

 今朝、登校指導をしているときに、正門とフェンスの上部が泥まみれになっていることに気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前、昇降口前の水飲み場上部のタイルが泥だらけになっていたことがありました。そのときは、はっきりと小さな靴の足跡があったので、すぐに見当がつき、一件落着となりました。

 今回は、泥の汚れ方がかなりひどい状況です。加えて高さもあるので、「昔の子ならいざ知らず、今の子に上れるかな?」と、やや疑問を持ちました。

 

 ちょうど、九美上駐在所の方が、朝の交通安全指導で来ていたので、様子を確認してもらいました。休日の夜中に、不審な人物が学校に何かをしているかもしれません。

 

 「もし、ほかにも様子がおかしいところがあれば連絡してください」

 そう言って、戻っていきました。

 

 

 正門のコンクリートの上のくぼみをよくみると、落花生の割れた殻がいくつかあります。

 足元を見ると、鳥の糞らしきものも点々としています。

 

 犯人がわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 犯人はカラスでした。

 そういえば、今朝、玄関前にも落花生の殻がいくつか散乱していました。

 目の前が、収穫を終えた落花生畑だったのです。畑でつまんだ落花生を、道路を隔てた正門の上でついばんでいたのです。雨上がりだったのでしょう。泥はすべて畑の土でした。確かに、グランドの土よりも粒子が細かく、教頭先生が水で流して落とすのも一苦労でした。一件落着しました。

 

 連休明けの朝の一コマでした。 (文責 海寳)

「目をかける 手をかける 声をかける」(その2) 10月11日(火) 

 「目をかける 手をかける 声をかける」

 これは、子供によって、時期によって、そしてタイミングによってどれを選択するか、という教師側の判断がそこに伴っています。子供の成長の度合いを測って、何が一番必要かを考えるのです。

 目はかけているけど声はかけない、声はかけるけど手はかけないなどです。全てかける場合もあります。それは状況次第で決まります。

 

 大規模校に勤務していたころの実践ですが、小規模校の部類に入るわらびが丘小などではなかなか難しいかもしれません。なぜなら、一人一人がよく見えるので、「すぎてしまう」ことが往々にしてあるからです。「すぎてしまう」とは、目をかけすぎてしまう、手をかけすぎてしまう、声をかけすぎてしまう、という弊害です。子供は時期により、あるいは子供により「放っておかれる(やや語弊はありますが)」ほうが自立してたくましく育つ場合があります。大人は経験上、子供の様子を見て、失敗することを見通せるので「転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)」よろしく、事前に伝えて失敗を回避させてしまいます。もちろん、交通事故など重大なダメージにつながる場合はそれも必要ですが、のちの良い経験となりうる軽微な失敗は「学び」につながります。「あのとき、こうやって失敗したから、今回は~しよう」という「察知」(さっち)につながります。

 

 終業式で手渡された「あゆみ」には、担任の先生による見取りが所見として記入されています。担任の先生方は、ほんとうに細かな部分までよく見ています。また、「がんばりマスター」もそうです。がんばっている部分をよく見取っています。

 後期にも、様々な場面での見取りをもとに、「目をかけ 手をかけ 声をかける」指導を各学級担任はじめ全教職員で心掛けていきます。

 後期もどうぞよろしくお願いします。 (文責 海寳)

「目をかける 手をかける 声をかける」 10月7日(金)

 先日、SNSの記事で見つけた言葉を紹介します。

 「子育て四訓(しくん)」といい、山口市の教育委員長だった緒方甫(おがたはじめ)先生の「心を育てる子育て」についての言葉であるとありました。

 幕末の維新の志士に影響を与えた吉田松陰を輩出した地であることから、平易な表現でありながら、含蓄のある言葉であると思いました。

 のちに渋沢栄一の有名な夢七訓のもとになったのではないかとされる吉田松陰の言葉にもどこか似ています。

 

 

夢なき者に理想なし

理想なき者に計画なし

計画なき者に実行なし

実行なき者に成功なし

故に、夢なき者に成功なし

      吉田松陰

 

 25年ほど前に、中学校の生徒指導担当を任されていたころ、夏休み明けの9月の目標として、先生方に向けて次のような目標を提示しました。

 「目をかける 手をかける 声をかける」

 これも、当時読んだ書物の中にあった表現を参考にして提示したものです。「子育て四訓」を目にして、すぐによみがえってきました。

 この言葉も、各学級担任の先生が、自分のクラスの生徒を目に浮かべて、どうかかわればよいかをイメージさせるのに有効であったと記憶しています。

 何をかけるのかは生徒によって違います。どの程度かけるのかも違います。

 「◯◯を〜しましょう」という目標はよくありがちですが、範囲が限定されてしまい、あるいは漠然としすぎて訴えかける強さがありません。

 昔のことを少し思い出したついでに書かせていただきました。 (文責 海寳)

「がんばりマスター」作成中。 10月3日(月)

 毎学期末に児童全員に授与している「がんばりマスター」。今週末の終業式に向けて、少しずつ書き始めています。

 担任の先生からみた児童のがんばっている姿を認め称えるという目的で開校当初から続けています。

 多い児童はすでに6枚をコレクションしています。

 今回は、自分のどんなところを担任の先生は見ていてくれていたのでしょう。金曜日を楽しみにしていてください。 (文責 海寳)

 

折り返し地点です。 10月3日(月)

 今週で前期が終了します。カレンダーも残り6枚となり、いよいよ後半戦です。昇降口の行事予定も、ハロウィーンバージョンに衣替えです。

 後期も行事がどんどん始まります。今月は郡市陸上競技大会があります。6年生は修学旅行もあります。来月初めには校内研究会も控えています。

 先生方は、先週まで通知表作成で夕方遅くまでかかっていました。来週からは後期が始まりますが、落ち着く間もなく、次の行事に向けて準備を始めています。時間をうまくやりくりして、時間外超過勤務の低減も進めていく必要があります。

 

 図書室前の掲示板も様変わりしました。読書の秋に向けて、「先生方のおすすめの本」を紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 3名の先生方のおすすめが紹介されていました。どの本も読んでみたくなる楽しそうな本です。

 同じような本が図書室の中にはたくさんあります。ぜひ手に取って読んでみてほしいと思います。そして、おもしろそうだなぁと思ったら、借りておうちでゆっくり読んでみてくださいね。

 

 その横に目をやると、図書委員がおすすめする図書が紹介されていました。これもなんだか楽しそうで、思わず見てしまいます。楽しそうな本の紹介をありがとうございました。

 みなさん、たくさん本を読みましょう。 (文責 海寳)

 

 

 

「威厳をもって丁寧に」 9月21日(水)

 ちょうど20年ほど前に、ヨーロッパ4か国を訪問する機会がありました。イギリス、オランダ、ベルギー、フランスを回りました。

 最初の訪問地であるイギリスでは、バッキンガム宮殿やウインザー城などに立ち寄りました。

 写真はその時のウインザー城のラウンドタワーを撮ったものです。この旗がイギリス国旗なら女王は不在、王室旗なら女王は在城ということでした。この日は運よく王室旗だったので、同じ敷地内にエリザベス女王がいらっしゃったわけです。(城内の「ロイヤルアパートメント」という建物だそうです)一昨日の国葬の様子をテレビで見て、あの時の感動がよみがえってきました。

 同時に思い出されたのが、最後の訪問地であるフランスでの出来事です。

 フランスでは、パリの日本人学校の訪問とともに、ダウンタウンにある中学校を訪問しました。場所柄、薬物や暴力など様々な問題があった学校だったと聞きました。

 ヨーロッパの学校は基本的に敷地をフェンスですべて囲い、当時から監視カメラなどのセキュリティは万全で、簡単に敷地内には入れません。

 新しく校長に就いたのがその地域の議員でした。学校を立て直すための方策として、警官が警察犬を伴い校内をパトロールすること、大学生を生徒の相談相手や指導員として活用することなど、いくつかの具体策を矢継ぎ早に繰り出し、学校は短期間で安定を取り戻したとのことでした。

 当時、校長はじめ何人かの学校スタッフと交流する場があり、そこで次のように質問してみました。

 「教員は、生徒と接するときに、どんなことに気を付けていたのですか?」

 すると、校長は、

 「生徒に対して、『威厳をもって丁寧に』接するよう、教員には伝え、そして実行しています」

 「生徒にとって教員は大人の代表です。教員が威厳をもつことで、生徒は尊敬のまなざしを向けます。そのような姿勢で丁寧に指導するのです。授業の質も上がります」

 「威厳をもって丁寧に」という言葉が胸に刺さりました。当然、「威厳をもって」とは威張ることではありません。その責任を全うしようという強い意志をもつことで醸し出される雰囲気みたいなものと私は捉えました。

 以来、心の片隅にいつも意識していた言葉です。

 

 フランスでは、このほかに印象深く覚えていることがあります。午前中に中学校を訪問し、午後から日本人学校を訪問しました。途中で昼食をとるためにレストランに入りました。

 メニューをオーダーしたときのことです。

 通訳の方が、「ワインは飲まれませんか?」と訊いてきたので、「これから訪問なので」と断ると、「ワインは我が国の文化ですよ」と言われ、「あ、ここはフランスだったのだ」と思い返し、1杯のグラスワインをおいしくいただいたことを思い出しました。

 「郷に入っては郷に従え」という諺(ことわざ)を痛感した出来事でした。 (文責 海寳)

今日は「重陽の節句(ちょうようのせっく)」 9月9日(金)

 

 今日は重陽の節句(ちょうようのせっく)です。健康長寿を願い、命を尊(とうと)ぶ大切な日とされています。

 

 以下、昨年度の本HP記事から引用します。

 

 五節句(ごせっく)というものがあります。

 ①人日(じんじつ)の節句  1月7日  

 ②上巳(じょうし)の節句  3月3日

 ③端午(たんご)の節句   5月5日

 ④七夕(しちせき)の節句  7月7日

 ⑤重陽(ちょうよう)の節句 9月9日

 

 古代中国では、奇数を「陽」、偶数を「陰」として占いなどに用いてきました。「陽」は縁起が良いとされています。中国では暦(れき・こよみ)で、奇数(陽)が重なると偶数(陰)になるとして、それを避けるために行事が行われていたということです。日本でも、宮中(きゅうちゅう)で邪気(じゃき)を払う行事が行われるようなり、また、季節の節目に当たることから節句(せっく)と呼ばれるようになったということです。

 

 重陽の節句は、陽数で最も大きい「9」が重なるので重陽(ちょうよう)と呼ばれています。本来は旧暦の9月9日を指し、今の暦では10月中旬にあたります。菊が美しく咲く時期でもあるので「菊の節句」とも呼ばれています。ちなみに菊は日本の国花であり、皇室の家紋でもありますね。

 調べてみると、いろいろなことがわかり楽しいですね。 (文責 海寳)

 

夏休みもあと7日です。 8月25日(木)

 長かった夏休みも今日を含めて7日となりました。児童の皆さんは元気に毎日を過ごしているでしょうか? 宿題は終わりましたか?

 

 夏休みに入ってすぐ行う予定だった二者面談は、コロナウイルスの感染状況が急激に悪化したことから中止としました。実施していれば、お子様の学校での様子や夏休みの過ごし方を伝えたり、夏休みの宿題について説明したりする予定でした。

 しかし、中止となったことでそれらができませんでした。

 心配なのは、宿題の進捗状況です。夏休みのしおりに書かれている宿題をきちんと進められているかがやや不安なところです。

 お家の方へのお願いです。今一度しおりを読んで、宿題が済んでいるか、31日までに終えられるのかどうかをお子様と確認してほしいのです。もし、まだ終わっていないものがあれば、残り7日間で計画的に進められるよう声掛けをしてください。

 9月1日に、全員がすっきりした明るい笑顔で登校できるように、ご協力をよろしくお願いします。(文責 海寶)

とてもうれしいことがありました。 8月23日(火)

 校歌が破れるという悲しい出来事の後に、とてもうれしい出来事が待っていました。

 令和4年度の「香取市人権標語展入賞者」の結果が届き、本校6年生のHさんが、なんと小学生の部で市長賞に輝いたのです。1等賞です。入賞作品を紹介します。

 

 「開けてみよう 心のとびら 笑顔のカギで」(わらびが丘小学校6年 HT)

 

 すばらしい! 「笑顔のカギで」が効いてますね。

 本校からはあと2名が優秀賞に入賞していましたので紹介します。

 

 「あなたとわたしとてもたいせつ。 あなたのかわりは いないから。」

                      (わらびが丘小学校1年 YM)

 「わたしから君へ 次々と続く 笑顔のバトン」

                      (わらびが丘小学校5年 YS)

 

 優秀賞の2作品も心に響いてきますね。すっとしみ込んできます。

 みんながこのような心をもっていれば、絶対にいじめは起きません。「いじめゼロのわらびが丘小学校」をこれからも続けていきましょう。

 とてもうれしいことでした。3名の皆さんおめでとうございました。 (文責 海寳)

 

悲しいことがありました。 8月23日(火)

 体育館の壁に掲げている校歌。開校直前に慌てて作成し、貼ったものです。

 その校歌が一部破れてしまいました。

 先日、校内を見回っていた日直さんが発見し、知らせてくれたのでした。作成するのにかなり労力がかかっただけに、ショックでした。数年はもつだろうと考えていたので、どうしようという思いです。

 

 なぜかというと、貼ってある位置が高くて脚立(きゃたつ)では届かないからです。スライド式の長い梯子(はしご)は本校にはありません。

 とりあえず、簡易的な補修をしたいのですが、ままなりません。

 困りました。

 

 

 もともとは、令和2年4月に開校するにあたり、体育館だけは全面改修になったことがきっかけでした。体育館が改修になったのは、老朽化もありますが、災害時の避難所としての機能を重視したからでしょう。

 体育館が新しくなるのは良いのですが、壁に掲げられている旧佐原三中時代の校歌も額ごと撤去するというのです。「新たな校歌の額は設置されるのですか?」と市教委の担当者に問うと、「その予定はありません」との答え。焦(あせ)りました。

 新規開校するのに、体育館に校歌がないと格好がつきません。模造紙に書いて画びょうやテープで貼るなんてみっともないことはしたくありませんでした。校歌も新しくなるのですから。入学式の様子が頭に浮かびました。

 咄嗟(とっさ)に、「額だけ残してもらえませんか?」とダメもとで頼んでみたところ「聞いてみます」とのこと。そして、額だけはなんとか残してもらったといういきさつがあったのです。

 ただ、そのあとが大変でした。開校直前である2月の初旬に、「来週、体育館内部の足場を撤去するので、それまでに新しく貼る校歌を作っておいてください」と。そうすれば貼っておきますとのこと。自分たちで貼るのは不可能だったのです。

 さあ、それからがたいへんでした。

 書くのは自分が書くとして、書く紙はどうしようかというところからです。

 その時はまだ神南小だったので、とりあえず模造紙やラシャ紙等を保管している物置きを探してみました。すると、幸いにして使いかけの和紙のロール紙がありました。たぶん歴代の校長である書家の椎名正男先生が残したものかも、と思いながら広げてみると、なんとか足りそうな長さが残っていました。

 失敗分も含めてとりあえず3枚分を必要な長さにカットしました。

 広い場所が必要なので、図書室の大きな机をつなげて紙を広げました。そして、最も難しい、レイアウトの線を引く作業です。鉛筆で、全体がバランスよく見えるように、ものさしで間隔を図りながら線を引きます。上下左右のスペースはどのくらいとろうか、行間は、一番と二番の間のスペースは、一行の中間線は、タイトルの文字の大きさは、作詞・作曲者の名前の大きさは、作曲者と一番の間のスペースは、などまるで製図を書くように線を引きます。

 線を引き終わったら、いよいよ歌詞を書きます。

 私は賞状もよく頼まれますが、いつも左から書いていきます。最後から戻ってくるのです。なぜなら、書くときに右手を紙に乗せられるからです。右から書くと、手を紙に乗せたら書いたばかりの文字の墨が右手の腹について、紙を汚してしまいます。そうならないように、最後の行から戻るように書いてくるのです。

 すぐに書き出せるわけではありません。気持ちを集中しなければなりません。気持ちが乗らなければ書けません。じつは初日は、1枚レイアウトの線を引いて気持ちが折れてしまいました。書き出したのは次の日です。

 翌日の午後、一発勝負で書き始めました。文字の下書きは書きません。消す作業が増えてしまうからです。しかし、一字間違えたら書き直しです。レイアウトの線も引き直しです。それだけで優に一時間はかかります。気持ちを集中します。

 三番を順調に書き、二番に入りました。あと二行というところでなんということでしょう、ついに失敗してしまいました。「季節のめぐみ」の「季」を「委」と書いてしまいました。書き直しです。字は、流れと勢いで書くので、このようなことはたまに起こります。ショックでした。

 この日は、2枚目のレイアウトの線を引いてエネルギーがなくなりました。

 翌日、気持ちを集中して書き始めました。順調に一番に入りました。ところが、なんということでしょう、「こもれ陽ゆれる」を「ゆるる」と書いてしまいました。

 書き直しです。

 また線を引きます。でも、この日はもう先延ばしできないので、気持ちを奮い立たせて3枚目の線を引き、何とか書き上げました。最後のタイトルの文字はちょっと気に入らなかったのですが、もう書き直す気力は残っていませんでした。

 とにかく失敗できない状況で、これだけの文字数を書くという、精神を集中するエネルギー量は相当なものでした。本当にへとへとでした。ただ、これで終わりではありません。

 それから台紙になる色ラシャ紙の色を決め、両面テープで3枚を縦につなぎ合わせ、体育館の額縁の内側のサイズにぴったりはまるようにするために、左側と下の端を切り取りました。

 そして、完成した校歌の裏側の4辺に両面テープを貼り、台紙を広げて全体のバランスをとりながら慎重に貼り付けていきました。難しいのは、最後に必ずしわができることです。

 しわができないように、ゆっくりと貼りました。すべて一人の作業です。なぜなら、この時期は閉校に向けて他の先生方は、やることがたくさんあったからです。

 最後に、台紙の裏側四方にガムテープで裏打ちし、なんとか完成させました。

 写真を撮るときだけ、2人の先生に持ってもらいました。それまでは先生方にも内緒で図書室にこもり作業していたのです。

 

 校歌を書く難しさは、各行の終わりの位置がバランスよく見えるように、一行の中間のすき間をどのくらいにするか決めることです。

 二番・三番とのバランスも考えます。だから、一番の2行目の「力いっぱい」と「仲間とともに」の間は、一行目や三行目とは違います。

 これは、校長室の校歌を書いてくださった書家の椎名正男先生も同じことをおっしゃっていました。

 額装する前、清書を持ってきてくださったときに、私が「先生、何枚お書きになったんですか?」とたずねると、「10枚くらいは書いたかな?」とおっしゃいました。それだけで相当な時間です。その労力の大きさを知っているがゆえに思わず訊いてしまいました。

 「行終わりのスペースのバランスが今一つで、行の途中のすき間の広さを少しずつ変えて書いてみたんです」と。その中で、一番よくできた一枚を持ってきてくださったのでした。

 

 体育館の校歌については、書き直しするしかないかと考えています。私は、来年3月には定年を迎えるので、それまでには書こうかなと思います。

 大変長くなりました。今日の悲しい出来事でした。 (文責 海寳)