学校から

学校から

学校安全点検  5月10日(月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大型連休前日の4月28日、宮城県の小学校で木製の防球ネッの支柱が根元から折れ、下敷きになった小学生が死傷した痛ましい事故がありました。この事故を受けて、翌日には、全国の小中学校に一斉に緊急安全点検の指示がありました。本校では遊具等は新規に設置したものなので問題はなかったのですが、旧三中時代からある施設にやや問題が見つかりました。野球場の防球ネットを支えているコンクリート製の柱です。ちょうど水道の蛇口付近の柱が1本、やや傾いています。4月30日に、すでに市教委には報告済みですが、念のために5月6日からカラーコーンを置いて、近づかないように注意を伝えました。休日に野球を行っている外部団体にも伝えてあります。 (文責 海寳)

今年の掲示物も充実しています。 5月10日(月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室の外には、少人数指導教員のK先生が、ご自宅から持ってきてくださった本物の鯉幟が泳いでいます。鯉の背に乗った子供たちがかぶっている兜、満開のあやめなど、全体のバランスといい色づかいといい今年の掲示物も相変わらず芸が細かいのはさすがです。

 児童用昇降口の行事予定の掲示板には、折り紙で作った鯉幟やツバメとともに、香取市の花である「あやめ」も折り紙で作ってあります。「あやめ」は本校の校章にも図案化されているので、とても身近な花です。

 ただ、調べてみると花弁に黄色の筋は「ハナショウブ」とありました。白い筋は「カキツバタ(杜若)」で、アヤメは、花弁に文目(あやめ)=格子状の模様 が入ったものだと。初めてその違いを知りました。また、生えている場所でも違いがわかります。アヤメは乾燥したところ、カキツバタは水の中、ハナショウブはその中間で半乾湿地だそうです。咲く時期もカキツバタ、アヤメ、ハナショウブの順で違うそうです。下の写真はカキツバタですね。白い筋があります。これまでその違いなど気にも留めなかったのですが、これからは詳しく説明できる気がします。 (文責 海寳)


 

畑はどんな様子でしょう?  5月10日(月)

 じゃがいもの苗は順調に成長しています。

 ちょっと見ない間にこんなにも大きくなっていてびっくりしました。

 さつまいもはまだ植えていないので、マルチを張ったままの状態です。手前にも平らな場所を作ってあるので、ここにも何か植えるのでしょうか? いずれにしても、収穫に向けて、日々成長する植物の様子を見るのは何か楽しいですね。 (文責 海寳)

今日は端午の節句。 5月5日(水)

 今日は「端午の節句(たんごのせっく)」です。

 端午の節句は五節句(ごせっく)のうちの一つです。

 五節句は、①1月7日 ②3月3日 ③5月5日 ④7月7日 ⑤9月9日 の五つです。②③④は毎年同じ曜日になるとありました。思わず「へぇ~」ですね。

 中国では奇数は縁起の良い陽の数とされています。その中でも最も大きい奇数が「9」なので、9月9日は陽が重なる「重陽(ちょうよう)の節句」と呼ばれています。(中国の陰陽思想で、「陰」に対する「陽」ですね)

 以前、なんで「おやつ」っていうのかな? と疑問に思い調べてみました。すると、江戸時代の「八つ刻(やつどき)」に食べるからと載っていました。江戸時代に庶民は時計を持っていません。時刻を知るすべはお寺の鐘です。0時と12時を最も縁起が良い「陽」の数字である「九つ」に定め、約2時間ごとに9の倍数を当てはめたとありました。18、27、36、45、54です。江戸時代には時刻を鐘を打って知らせていたので、18回も打っていたらわからなくなってしまいます。まして54回も鳴っていたらうるさくてしょうがないでしょう。だから、10の位を省略して、18(2時ごろ)を「八つ」、27(4時ごろ)を「七つ」というように数を減じていったというのです。朝の6時ごろを「明け六つ(あけむつ)」、夕方の6時ごろを「暮れ六つ(くれむつ)」と言ったそうです。ただし、季節によって日の出と日の入りの時間は違いますから、季節によって時間の幅はまちまちだったようです。

 「おやつ」にもどります。江戸時代の初期までは一日2食だったそうです。夜が明けて、ひと仕事してから(朝飯前ーあさめしまえ)食べ、日が暮れるまえに食べるのです。すると、ちょうど2時過ぎごろに小腹がすくのでしょう。時間で言えば「八(や)つ」刻(どき)です。「お」をつければ「お八つ」です。「なるほど、それでおやつなのか」1日3食になるのは江戸時代中期の元禄(げんろく)ごろと言われています。一日3食になっても「おやつ」の習慣は残ったのですね。

 話がだいぶそれましたが、中国の陰陽思想はこんなところにまで影響していたのですね。もっと知りたくなりました。

 ちなみに、中国では流れが急な川(滝)のことを「竜門」と言うそうです。台湾に旅行に行ったときにガイドさんが教えてくれました。鯉が滝を登って竜になる伝説から、立身出世するための厳しい関門を「登竜門(とうりゅうもん)」と呼ぶようになったと。だから、滝・瀧(たき)という漢字は、さんずいに竜・龍と書くと教えてくれました。「へぇ~」ですね。鯉幟(こいのぼり)は、逆境にくじけずにたくましく育ってほしいという親心の現れですね。 (文責 海寳)

「むごい教育」(再掲) 4月30日(金)

 昨年7月1日に掲載した文章です。

 

 戦国時代のお話です。江戸幕府を開いた将軍徳川家康は、松平家に生まれ「竹千代」と名付けられました。

 幼いころの竹千代は、大名今川義元に人質として送られてしまいます。義元は、幼い竹千代の秀でた才能を一目で見抜き、「このまま成長していけば、いずれ面倒な相手になるに違いない」と考えるようになります。

 そこで義元は、家臣に次のように命令したのです。

「竹千代に『むごい教育』をせよ」と。

 その家臣は命令を忠実に守り、翌朝の日が昇る前から起こし常に駆け足で行動させ、粗末な食べ物しか与えず、一日中、剣術、武術、馬術、夜は遅くまで学問をさせ、毎日くたくたになるまでしごきました。

 後日、義元は家臣に尋ねます。

「その後どうなっているか」

 家臣が一部始終を「これほどむごい教育はありません」と得意げに報告すると、義元は烈火のごとく家臣を叱りました。

 激しく叱責された家臣は「では、『むごい教育』とは、どのようにすればよいのでしょうか」と聞き返します。

 義元は、次のように答えました。

「寝たいときはいつでもいくらでも寝かせよ。」

「学問がいやならやらせるな。」

「寒いときは、温かい服を何枚も着せてやれ。夏は暑くないように涼しくしてやれ。」

「贅沢なごちそうを好きなだけ食わせろ。」

「嫌がることはさせるな。好きなことだけをさせろ。」

「できる限り大事にしてやれ。」

 どうしてこれが『むごい教育』なのでしょうか。

 義元は最後に言いました。

「そうすれば、たいていの人間はだめになる。それが『むごい教育』だ。」と。

 義元の本意を理解できず、家臣がきちんとした教育をして逆に鍛えてしまったがゆえに厳しく叱責されてしまった皮肉なエピソードです。

 

 これは、様々な場所でよく使われる有名なエピソードです。

 このことが何を示しているか、ぜひ話題にしてください。

 

 本校の学校教育目標は「夢を持って学び、たくましく生きる児童の育成」です。

 「たくましく」とは、「失敗にくじけない強い心」と本校では定義しました。

 近年、社会人になって厳しさについていけずに仕事をやめてしまったり、うまく人間関係を作れずに引きこもってしまうケースが増えていると聞きます。そして、その状態が40歳や50歳になっても続いていくというのです。

 これは、子供時代に失敗を経験せず、どうすれば自力で失敗から立ち直れるのか学ぶ機会を、まわりの大人が奪ってしまったことによることが大きいと言われています。

 多くの人は失敗を恐れます。自分からすすんで失敗しようとはだれも思いません。

 しかし、成功を目指してもうまくいかないのが世の中の常です。どうしたら失敗を生かせるか考えるのは一つの大きな学びです。

 また、失敗させないようにしすぎると、失敗したときにそれを隠すようになってしまいます。それでは、失敗を乗り越えることなどできるはずがありません。はたして、それでいいでしょうか。

 ちなみに、失敗を語る人に人々は安心し、成功を語る(自慢する)人から人々は離れていきます。

 成功は大事ですが、失敗はもっと大事だと考えます。子供時代の失敗はいくらでもやり直しがききます。

「人は成功して覚え、失敗して学ぶ」という言葉があります。私の好きな言葉の一つです。

 子供たちには、その両方をバランスよく経験させ、様々な学びを得てほしいと願っています。

(再掲はここまで)

  

 年度始めにあたって、今後、学校と家庭が力を合わせて子供たちをたくましく育てていくために、ぜひ知っておいて欲しいと思い載せました。

 多くの子供たちが生活する学校では、毎日いろいろなことが起こります。重大なトラブルに発展しそうなこともあります。学校では、教職員や指導員・支援員などの大人が、子供たちの様子をいつでも気にして、「あれ、ちょっとおかしいな」と感じたら声をかけ、早い段階で対処できるようにしています。そして、すぐに管理職に報告してきます。管理職は、「すぐに保護者に連絡しください」などの指示をします。内容によっては、全教職員で情報を共有し、その後は多くの大人の目で気にしながら注意して見ていきます。

 大切なのは、学校と家庭で力を合わせるということです。お互いにすぐ連絡をとり合い、情報を共有することです。問題がなかなか解決しないケースの多くは、お互いに持っている情報が共有されていない時です。そして「家庭 対 学校」の構図になってしまうのです。これでは問題は解決しません。子供は絶対に良くなりません。常に「大人 対 子供」の構図にして、大人が力を合わせて子供を正しく導いていくことが大切です。「子供を良くしたい」という願いは一緒なのですから。 (文責 海寳)

 

  

PTA総会を開催しました。 4月24日(土)

 昨年度開催できなかったPTA総会を開催しました。

 昨年4月は、コロナウイルス感染拡大防止による緊急事態宣言下にあり、学校も休校が続いていました。統合初年度のPTA設立総会も当然実施できず、PTA関係の集会は、とうとう1年間実施できないままでした。PTAの活動も、リサイクル活動と広報部の活動はなんとか実施できたものの、その他はほとんどできずじまいでした。本部役員の皆様には、その都度本部役員会を開き、ご意見をうかがうなどして進めてきました。今回のPTA総会が、実質「設立総会」となったと思います。福田・神南両地区のPTA会員の皆様が一堂に会したわけですから。開校初年度のH会長さんはじめ令和2年度本部役員の皆様、大変お疲れさまでした。本当にありがとうございました。そして、あとを引き継いだ令和3年度のA会長さんはじめ新本部役員の皆様、1年間どうぞよろしくお願いいたします。(文責 海寳)

 ※下の写真は令和2年度H会長と、令和3年度新本部役員の皆様です。


PTA集会にあたってのお願い 4月23日(金)

 明日は、本校が開校して初めてのPTA総会を実施します。

 午前中は、2時間展開で授業参観を行います。旧小学区ごとの分散開催です。

 ① 検温記録を持ってきてください。昇降口でも検温は行います。 

 ② 上履き用意はありませんので、必ず持参してください。

 ③ 校舎内は飛沫拡散防止にご協力ください。とくに教室内および廊下は私語厳禁」でお願いします。

 

 午後は、体育館でPTA総会を実施します。児童用昇降口からお入りください

 昨日配布した資料を必ず持ってきてください。あらかじめ目を通しておいてください。総会は、30分以内での終了を予定しています。

 その後、各学級でのPTA、各専門部ごとの集まりがあります。

 マスクの着用のない方は、校舎内には入れません。必ずご用意ください。

 

 駐車場は、午前中はグラウンドにお願いします。午後は、手前のアスファルトの駐車場が埋まり次第、グラウンド駐車場手前から駐車してください。

 誘導にしたがって駐車をお願いします。

 校内での自動車同士の接触、また、人との接触による事故についての責任は負えません校内は時速5㎞以内を必ず守って、慎重に進入してください。

 以上、よろしくお願いします。   

                            わらびが丘小学校

 

横断歩道が設置されました。 4月12日(月)

 県道佐原・八日市場線からわらびが丘小学校方面に曲がる五差路の交差点があります。旧佐原三中時代は、通学する中学生の自転車と車の接触事故が多かったと聞きました。先月、この交差点に横断歩道と歩行者用信号機が設置されました。しかもコーナーには、歩行者待機ゾーンとポールまで設置されています。これまでは、県道を渡るための歩行者用信号と2本の横断歩道しかなく、市道を渡るための横断歩道と歩行者用信号機はありませんでした。

 わらびが丘小学校では、学校から2㎞以内の児童は徒歩で通学することになっています。しかし、歩道が整備されていないため、現状では歩くことはできません。道幅が狭いわりに交通量が多く、しかも大型車両も結構通り、大変危険だからです。ですから、徒歩児童の家庭には車での送迎をお願いしています。

 県道の歩道とともに、市道への歩道の整備もできるだけ早くお願いしたいものです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交差点の一角に石碑が立っています。足元をすぐ横の木の太い根が覆っていて、周囲を十数本の小さな石柱が囲んでいます。地面の一部は新たにアスファルトで固め、歩道にしてあります。石碑には「旗立松」と刻まれています。「松はないのに…」とちょっと不思議に思い、気になったので校長室の本棚にある書籍でさがしたところ、島田七夫氏著「佐原の歴史散歩」(平成10年発行)に次のように載っていたのを見つけたので引用します。

(以下引用)

 「旗立松」

 「バス停『九美上』の近くであるが、五つの道が交叉する東側、駐在所脇に『旗立松(はたたてのまつ)』の石碑がある。碑は昭和2年に建てられたもの(碑文は宮沢春文香取神宮宮司)で、それによると「前九年の役(1051)」に陸奥守兼鎮守府将軍の源頼義が安倍氏征討の命をうけて、奥州に向かう途中、軍神の香取神宮に戦勝祈願するためここを通り、この松に軍旗を立てて兵馬を休めた」ということである。かつては、目通り周囲4メートルもある枝ぶりの見事な松があって、故事を伝えるふさわしいものだったというが、その松も今はない。小松であるが何代目であろうか」(引用ここまで)

 今から970年前の平安時代には、この場所に香取神宮へ向かう通りがあったこと、そこが今でも交通上便利な場所になっていることを思うと何とも言えない気持ちになってきました。鎮守府将軍の一団であるので、数百人規模はいたでしょうか、それ相応の規模の兵馬がここでしばし休息したことを想像すると、歴史のロマンにかられます。

 ちなみに、源頼義の系譜をひも解くと、父は源頼信といい、かの有名な藤原道長の四天王の一人と呼ばれたエリートでした。また頼義の子孫には、足利尊氏、源頼朝、武田信玄がいます。

 何気なく見かけた石碑に、このような歴史的事実があろうとは思いもよらないことでした。でも、そのおかげで高校の日本史で習って以来の「前九年の役(えき)」について詳しく調べることになり、当時は言葉だけ覚えてそのいきさつなど詳しいことはまったく知ろうともしなかったのが、そのつながりから結末まで知ることとなったのはちょっと得した気分です。誰かに自慢げに話してみようと思います。アウトプットは大事ですから。 (文責 海寳)

「体温測定用サーモグラフィーカメラ」が設置されました。 4月12日(月)

 香取市が、国の「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」を活用し、市内の各学校に「体温測定用のサーモグラフィーカメラ」を設置してくれました。現在は、児童用昇降口に設置しています。児童には、ここを通るたびに自分の体温を確認する意識を高く持ってほしいと考えています。一度に二人まで測定できるのでとても便利です。昇降口を通るときは必ず検温してくださいね。 (文責 海寳)


校内はお花が満開です。 3月30日(火)

 

 

 

 

 

 

 校内の桜は満開を迎えました。ソメイヨシノはすでに散り始めています。フェンス際に自生している数本の菜の花は見頃です。1年生が育てているチューリップはほぼ咲きそろいました。これから咲くものもいくつか見られます。昨夏の3年生のひまわりも夏休み中に満開になってしまい、一番いい時に見ることができませんでした。チューリップも春休み中に咲ききってしまいそうです。 (文責 海寳)