学校から

2020年8月の記事一覧

学校再開 8月24日(月)

 2週間の夏休みをはさんで今日からまた授業が再開しました。朝、登校した子供たちに声を掛けました。

 「楽しい、充実した夏休みを過ごせましたか?」

 「うん、いっぱいあそんだ」

 「はい、家族でバーベキューをしました」

 「庭のプールであそんだ。冷たくて気持ちよかった」

 「家の中で、テレビやゲームばっかりやってた」

 「ずっと本を読んでた」

    「う~ん、学校のほうがいい。友だちに会えるから」

 今年は期間も短く、しかも猛暑だったのですが、子供たちなりに過ごせていたようです。とにかく、大きな事故もなく、みんなの元気な顔を見られたことが一番うれしかったことでした。

 今週は、再び午前中の4時間授業です。コロナウィルス対策に加え、熱中症の危険もあります。熱中症対策にも十分配慮していきたいと思います。 (文責 海寳)

  

終戦記念日に考える ~「祈り」について~ 8月15日(土)

 今日は終戦記念日です。例年であれば各地で戦没者追悼慰霊式が開催されるところですが、今年はコロナウィルス感染防止のため中止が相次いでいるとの報道がなされています。しかし、戦後75年の今年も、各地で平和への祈りは続いています。

 「祈り」の語源を調べてみると、「生(い)を宣(の)る」=いのる、「意を宣る」=いのる などと出てきます。「宣る」とは、もともと神や天皇が神聖なる意向を人々に対し口で言ったりして表明することだそうです。「意」という字を分解すると、心と音になります。心の音ですね。普段は考えたこともないけれど、何かを想像させるフレーズです。

 「命」の語源も、「生の内」=いのち、「息の内」=いのち と出てきます。105歳で亡くなった聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明先生は、「命とは生きている時間である」とその著書で言われていましたが、ほんとうにそうだなと思わず納得してしまいます。

 8月は、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害者追悼の祈りをはじめ、祈りの季節とも言えます。

 

 近年、世界的規模で噴火や地震、台風などの自然災害が猛威をふるい、人間の力をはるかに超えた自然の力になすすべもないという出来事が続いています。

 アメリカのカリフォルニア大学では「祈りの効果」を研究し、現在の科学では説明がつかないが、確かにその効果は確認できることを実験で証明しています。

 私たちもことあるごとに無事を祈る、健康を祈る、幸せを祈る、成功を祈るなど、祈りと共に日常があることは間違いありません。最後に頼ったりすがったりするのは、やっぱり何かに祈ることなのでしょう。

 

 ハワイは英語で“Hawaii"と書きます。なんで最後に"i"が2つあるんだろう? と疑問に思い調べてみると、ハワイ語で”Ha"は生命、“Wai"は水、”I"は魂を表しているとありました。

 「い」は命であったり魂であったり、何か共通のものを感じた気がしました。

 言葉に目をとめて、疑問に思ったことを調べてみると新しい発見があります。昔は百科事典や専門書を調べてみないとわかりませんでした。また、図書館にいって本を探す手間を考えると、探す気も失せてしまうほど時間がかかることばかりでした。しかし、「超スマート社会」になりつつある現在、パソコンやスマートフォンをはじめとする素晴らしいツールを得て、インターネットを通して簡単に調べられるのでほんとうに便利な世の中になりました。時間がかからなくなった分だけ新たな発想を広げて調べてみるのも興味深いものがあります。

 

 ただ、この便利さを享受している現代に生きる私たちの平和は、戦争に散った多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。そして、インターネットを介さずとも、戦争により多くの家族に降り注いだ悲しみや絶望、やり場のないつらさなど、実際に聞くことはできない埋もれている貴重な事実を、身近にある図書の活字がまるで語りかけるように私たちの耳に届けてくれるのです。

 コロナウィルスの影響で外出を控えざるを得ない日が続いています。自宅の古い本棚に眠る、価値ある一冊との出会いを求めてみてはいかがでしょうか。私は、学校の図書室の本棚にあった「あの日を生きて-私の戦争体験記- 佐原市」(平成4年刊行)を読みながら、平和への祈りを新たにしています。 (文責 海寳)

水は方円の器に従う 8月14日(金)

 「水は方円の器に従う」

 これは、閉校した神南小学校の玄関に飾られていた木彫の書です。現在はわらびが丘小学校の校長室に飾られています。

 揮毫(きごう)したのは、渡邊操(存軒)先生です。言葉の意味は、「水は、入れ物の形によって四角(方)にも丸(円)にもなる。人もこれと似たようなもので、交友関係や環境によって、良くも悪くもなる」とのたとえです。出典は「韓非子(かんぴし)」※中国戦国時代末期の思想家韓非(かんぴ)の著書。

 渡邊操先生は、安政2(1854)年、旧良文村(小見川)久保に生まれ、東京で学業を学び明治14(1881)年、自宅に現在の千葉県立小見川高等学校の前身となる「無逸塾(むいつじゅく)」を開き、地域の青年教育のために奔走したそうです。(神南小学校閉校記念誌より)

 この言葉は、見方によっては、「様々なものに柔軟に適応する」とも解釈できますね。

 「上善は水の如し(じょうぜんはみずのごとし)。水は善(よ)く万物(ばんぶつ)を利(り)して争わず」という言葉があります。これは、中国の春秋時代の哲学者である老子の言葉です。意味は「最上の善は水のようなものである。水は万物を助け育てて自己を主張せず、他と争わず、だれもが嫌うような低いほうへ流れて、そこにおさまる」というものです。

 水にまつわる言葉はいろいろありますが、それだけ大切なものであるからでしょう。

 本校も、環境に左右されやすい子供たちが良くなるための「素晴らしい入れ物」になれるように、教職員一同力を尽くしていきたいと思います。 (文責 海寳)