わくわく♡ドキドキ東大戸show!(R2)

戦時中の東大戸小【終戦記念日に】

2020年8月15日…75回目の終戦記念日です。

1976年(昭和51年)編集の「東大戸小学校 百年の歩み」の中にある「伊藤 英 先生」の文章をそのまま掲載させていただきます。

~創立百周年に寄せて~ 元教員 伊藤 英

東大戸小学校が、創立百周年を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。
私が、東大戸小学校に御厄介になりましたのは、昭和8年から昭和40年までの実に32年の長い歳月でございました。
今、過ぎ去った32年間を振り返りますと、思い起こされるのは、苦しかった戦時中でございます。教科書での学習は少なく、出征(※1)された家庭への勤労奉仕で、畑の除草、麦踏み、田植え、稲刈り等と、援農(※2)の毎日でした。
また、縄ない(※3)や、むしろ織り(※4)、かます織り(※5)、草履づくりや薬草取り等も一生懸命いたしました。
特に忘れられないのは、利根川の堤防へ作った甘藷(さつまいも)の収穫に行き、B29の襲来にあい、あわてて近くの松林に逃げ込み、伏せをして、機銃掃射(※6)のパチパチという炸裂する音を聞きながら、息をころし、子どもたちの無事を祈り、敵機の飛び去るのを待っていたあの一瞬です。
また、夜中、空襲警報が出ると、出勤して、御真影(※7)と重要書類や校舎を守りました。そして、学校には駐とん部隊がおり、校舎は二分され、授業も午前の部と、午後の部に分けられました。また、男の先生方が応召されたので、2人ずつで宿直もいたしました。
今は焼け跡が柱に残ったうす暗い旧校舎(※8)もなく、物心両面に恵まれ、お子様たちは幸福です。東大戸小学校の今後の御発展と、学区の皆様方の御繁栄を心からお祈り申し上げます。

※1 出征…軍隊に加わって戦地に行くこと。

※2 援農…農作業の手助けをすること。

※3 縄ない


※4 むしろ織り


※5 かます織り


※6 機銃掃射(きじゅうそうしゃ)…機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること。

※7 御真影(ごしんえい)…天皇の肖像画

※8 戦時中の東大戸小学校

分校


戦争は、東大戸小学校にも大きな影を落としていました。
当時600人以上の子どもたちが通っていた東大戸小。
(※昭和19年の児童数 本校550人 分校115人)
戦時中の子どもたちと先生方は、日々どんなことを考え、どんな願いをもって学校生活を送っていたのでしょう。

現代の「平和」は、戦争で命をなくされた310万人の方々の尊い犠牲のうえにあります。決して当たり前ではない。
改めて、「平和」のありがたさを思い、「戦争を繰り返さないために自分ができること」を本気で考え、できることから行動していきたいと思います。

75回目の終戦の日に…。