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校長のことばコラム8 言葉の変化(5)離れたのに近づいた?
まずは以下の文章を御覧ください。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。
引用したのは、枕草子第一段「春はあけぼの」の、いわゆる秋の部分です。「春はあけぼの」は小学校・中学校の国語教科書どちらにも採用されており、古典の中でも特に親しまれている名文です。
ここで注目したいのは、「小学校でも中学校でも採用されている」という点です。
小学校で扱うには内容が平明でなければならず、中学校で扱うには学びにつながる深みが必要になります。その両方を兼ね備えていること自体が、作品としての完成度の高さを物語っています。現代の私たちが読んでもすんなり情景を思い浮かべられる簡潔さと、古文特有の語彙や平安時代の感性を味わえる奥行き、その両立が「春はあけぼの」の魅力なのだと感じます。
さて、この秋の部分には、古典の重要語句が2つ登場します。
「あはれ」と「をかし」です。
これらは最も簡潔に現代語へ訳すと、どちらも「趣(おもむき)がある」となります。ここでいう「趣」とは、「そのものが感じさせる風情。しみじみとした味わい(※デジタル大辞泉〔小学館〕より)」を指すのが適当でしょう。
では、同じ「趣」をあらわす言葉である「あはれ」と「をかし」。いったい何が違うのでしょうか?
あはれ:しみじみと心に響くような感動
をかし:うきうきと心が弾むような感動
どちらも感動的ではありますが、その感動が向かう方向が異るのです。言い換えれば、しんみり型の感動=あはれ、明るい昂揚型の感動=をかしとも言えるでしょう。
さて、この「あはれ」と「をかし」は、現代語でもよく使われる語です。
あわれだ:かわいそうだ。気の毒だ。みじめだ。
おかしい:変だ。異常だ。おもしろい。笑える。
現代語になると、特に前者については、完全にマイナス寄りの意味を帯びてしまっています。本来は感動的な場面で使われていた語だったはずなのですが……。
なぜ、このような変化が起きたのでしょうか?
まず「あはれ」について考えてみましょう。「心に染み入るような感動」をもたらす物語を思い浮かべると、涙を誘うような場面が多いのではないでしょうか。そこから、
悲劇的・哀愁を帯びた場面=あはれ
かわいそうだ=あわれ
みじめだ=あわれ
という流れで、よりマイナス方向の意味が発達していったと考えられます。
次に「をかし」ですが、「心が浮き立つような愉快な場面」を想像すると、笑いの要素が多くなるはずです。現代のお笑い芸人を思い浮かべるとわかりやすいですが、人は「変なことをしている」と笑います。それと同じく、
笑える場面=をかし
面白い=おかしい
変だ=おかしい
という意味の展開が起きたのでしょう。
※「をかし」が「変だ」の意味を持つ用法は、実は平安時代から見られのですが、主流になったのは現代に入ってからのようです。
このように、「あはれ」も「をかし」も、元々は感動を示す美しい語でした。それが長い歴史の中で意味を変えながら現在に受け継がれているという事実自体、言葉の面白さであり、古典を学ぶ価値の一つでもあると思います。
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