わくわく♡ドキドキ東大戸show!(R2)

わくわく♡ドキドキ東大戸show!

頭キーン!

毎日、ほんと~に暑い。
こんな時に食べたいのは、これ!

おいしそ~っ!

ところで、かき氷やアイスクリームを食べた時に、「頭がキーン」と痛くなったことはありませんか?
これを、「アイスクリーム頭痛」というそうです。
主な原因として、2つの説があります。

①食べたものが冷たすぎて、脳が「冷たい」を「痛い」とまちがえて痛くなるという説。

②冷たいものを食べると口やのどの温度が急に下がる。これを温めるためにたくさんの血液が流れて頭の血管が広がって痛くなるという説

どちらの説が正しいのか、実は未だによく分かっていないそうです。
ちょっとミステリアス?
でも、①②とも「急に食べた冷たいものに体が反応できない」ということは共通しています。
ならば、「反応できる」ようにすれば「頭キーン」の予防になります。

予防法1 冷たいものを食べる前に、冷たい水などを飲んでおく。
予防法2 冷たいものを、ゆっくり食べる。
予防法3 冷たいものを食べながら、温かいものを食べる。
予防法4 額を氷などで冷やす。

どれもカンタンでしょう?
ぜひ試してみてください。

あっ、くれぐれも、冷たいものの食べ過ぎにはご注意を!

残暑お見舞い

ある4年生が7月に書いた絵はがきです。

そして今。
ゴーヤの実、できてますよ~!


お久しぶりです、ピーナッツです!
毎日、ほんとに暑いね。
でも、ぼくはモリモリ食べているので元気いっぱいです!
 
先生たちからです⇩。読んでくださ~い!
残暑見舞い2020.pdf

戦時中の東大戸小【終戦記念日に】

2020年8月15日…75回目の終戦記念日です。

1976年(昭和51年)編集の「東大戸小学校 百年の歩み」の中にある「伊藤 英 先生」の文章をそのまま掲載させていただきます。

~創立百周年に寄せて~ 元教員 伊藤 英

東大戸小学校が、創立百周年を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。
私が、東大戸小学校に御厄介になりましたのは、昭和8年から昭和40年までの実に32年の長い歳月でございました。
今、過ぎ去った32年間を振り返りますと、思い起こされるのは、苦しかった戦時中でございます。教科書での学習は少なく、出征(※1)された家庭への勤労奉仕で、畑の除草、麦踏み、田植え、稲刈り等と、援農(※2)の毎日でした。
また、縄ない(※3)や、むしろ織り(※4)、かます織り(※5)、草履づくりや薬草取り等も一生懸命いたしました。
特に忘れられないのは、利根川の堤防へ作った甘藷(さつまいも)の収穫に行き、B29の襲来にあい、あわてて近くの松林に逃げ込み、伏せをして、機銃掃射(※6)のパチパチという炸裂する音を聞きながら、息をころし、子どもたちの無事を祈り、敵機の飛び去るのを待っていたあの一瞬です。
また、夜中、空襲警報が出ると、出勤して、御真影(※7)と重要書類や校舎を守りました。そして、学校には駐とん部隊がおり、校舎は二分され、授業も午前の部と、午後の部に分けられました。また、男の先生方が応召されたので、2人ずつで宿直もいたしました。
今は焼け跡が柱に残ったうす暗い旧校舎(※8)もなく、物心両面に恵まれ、お子様たちは幸福です。東大戸小学校の今後の御発展と、学区の皆様方の御繁栄を心からお祈り申し上げます。

※1 出征…軍隊に加わって戦地に行くこと。

※2 援農…農作業の手助けをすること。

※3 縄ない


※4 むしろ織り


※5 かます織り


※6 機銃掃射(きじゅうそうしゃ)…機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること。

※7 御真影(ごしんえい)…天皇の肖像画

※8 戦時中の東大戸小学校

分校


戦争は、東大戸小学校にも大きな影を落としていました。
当時600人以上の子どもたちが通っていた東大戸小。
(※昭和19年の児童数 本校550人 分校115人)
戦時中の子どもたちと先生方は、日々どんなことを考え、どんな願いをもって学校生活を送っていたのでしょう。

現代の「平和」は、戦争で命をなくされた310万人の方々の尊い犠牲のうえにあります。決して当たり前ではない。
改めて、「平和」のありがたさを思い、「戦争を繰り返さないために自分ができること」を本気で考え、できることから行動していきたいと思います。

75回目の終戦の日に…。