学校から

歴史のロマン~旗立松(はたたてのまつ)~  6月22日(火)

 「九美上コロニー」は、シラサギの繁殖地です。九美上交差点(五差路)の近くの「佐原テクノ」さんの駐車場の横にある杉林を中心としたエリアです。「鳥の博士」齊藤敏一先生によると、約700羽のシラサギがいて、国内で小さな渡りをしているとのことです。ここは、県内でも最大級のコロニーでもあるそうです。中には住み着いて年中暮らしている個体もいるとか。ただ、このところ、規模も小さくなり、また、繁殖できる場所も少なくなってきているそうです。コロニーの条件としては、近くにえさ場(田んぼや川など)があること、木々の間をとびぬけられるだけのすき間がある林であることなどです。近年はエサも少なくなってきており、また、シラサギが巣をつくる木も、自分たちが出したフンにより巣をかけている木が枯れてしまうという悪循環も増えているようです。齊藤先生は「自分で自分の首を絞めているんだよね。でも、人間も同じなんだよなー」とボソッと言っていたのが印象に残っています。

 九美上コロニーに行く時にわたる交差点の一角にある石碑をご存知でしょうか?

 4月12日に本ホームページに載せたものを再掲しますのでご覧ください。

(以下再掲)

 交差点の一角に石碑が立っています。足元をすぐ横の木の太い根が覆っていて、周囲を十数本の小さな石柱が囲んでいます。地面の一部は新たにアスファルトで固め、歩道にしてあります。石碑には「旗立松」と刻まれています。「松はないのに…」とちょっと不思議に思い、気になったので校長室の本棚にある書籍でさがしたところ、島田七夫氏著「佐原の歴史散歩」(平成10年発行)に次のように載っていたのを見つけたので引用します。(以下引用)

 「旗立松」

 「バス停『九美上』の近くであるが、五つの道が交叉する東側、駐在所脇に『旗立松(はたたてのまつ)』の石碑がある。碑は昭和2年に建てられたもの(碑文は宮沢春文香取神宮宮司)で、それによると「前九年の役(1051)」に陸奥守兼鎮守府将軍の源頼義が安倍氏征討の命をうけて、奥州に向かう途中、軍神の香取神宮に戦勝祈願するためここを通り、この松に軍旗を立てて兵馬を休めた」ということである。かつては、目通り周囲4メートルもある枝ぶりの見事な松があって、故事を伝えるふさわしいものだったというが、その松も今はない。小松であるが何代目であろうか」(引用ここまで)

 今から970年前の平安時代には、この場所に香取神宮へ向かう通りがあったこと、そこが今でも交通上便利な場所になっていることを思うと何とも言えない気持ちになってきました。鎮守府将軍の一団であるので、数百人規模はいたでしょうか、それ相応の規模の兵馬がここでしばし休息したことを想像すると、歴史のロマンにかられます。

 ちなみに、源頼義の系譜をひも解くと、父は源頼信といい、かの有名な藤原道長の四天王の一人と呼ばれたエリートでした。また頼義の子孫には、足利尊氏、源頼朝、武田信玄がいます。

 何気なく見かけた石碑に、このような歴史的事実があろうとは思いもよらないことでした。でも、そのおかげで高校の日本史で習って以来の「前九年の役(えき)」について詳しく調べることになり、当時は言葉だけ覚えてそのいきさつなど詳しいことはまったく知ろうともしなかったのが、そのつながりから結末まで知ることとなったのはちょっと得した気分です。誰かに自慢げに話してみようと思います。アウトプットは大事ですから。 (文責 海寳)