日誌

天を測り、地を量った四千万歩の男 伊能忠敬

 天とは天体であり、暦であり、時である。
 佐原の商人として活躍し進むべき道を見出していった前半生。
 江戸での勉学と困難を乗り越えながらも全国測量を行って伊能図をつくった後半生。その足跡をたどる時間、それが本日5,6時間目に行った『伊能大図全国パネル公開展』見学でした。栗源中学校では、本日の5,6時間目に香取市がチャーターしたバスを利用して、香取市民体育館を訪問し、香取市の偉人、伊能忠敬没後200年を記念した『伊能大図全国パネル公開展』に参加しました。
 
線路脇駐車場から徒歩で会場へ。  香取市教育委員会の先生から、伊能忠敬
について説明を受けました。聞く態度が大変立派でした。
 
会場は小学校の児童の皆さんと一緒に。 測量などに関するパネルを見入る
1年生の皆さん。
 
学芸員さんに話をうかがいながら、じっくり伊能図を見る皆さん。
 
不思議そうに集まっているグループを発見!近寄ってみると、伊能図に計算の
あとが。生身の江戸時代の人と会っているような感覚に誘う資料に感じます。
 
思い思いに好きな場所を探す栗中生。
 
見学後、校長先生からのお話を聞いて、会場を後にしました。
 
 香取市では誰もが知る忠敬(ちゅうけい)先生こと、伊能忠敬。彼はなぜ50歳をを過ぎ、家業を息子に継ぎ、江戸に出て地図をつくることになったのか。彼の見果てぬ夢、それは「地球を知りたい」という思い。当時最先端の天文学を忠敬は学ぶが、壁にぶちあたる。それは日食や月食がいつ起こるか正確に予測ができないということ。地球の謎を解きたい。そのためには、地球の大きさを正確に測定する必要がある。子午線一度(経度一度)を知り、地球の大きさを測定しなければならない。そんな時、幕府は国防として蝦夷地を測量し、地図をつくる必要があった。地図つくりをしながら地球の大きさを測ろう、国益と自分の夢をかなえる挑戦。それが忠敬の全国測量。   <参考資料:香取市市勢要覧2018>
 いろいろな視点で伊能忠敬の人生を知りたくなった見学会でした。


 学校にもどると、養護の先生が「私、この花大好きなんです、ミヤコワスレ!」と教えてくれました。以前勤めていた時にも同じ場所で咲いていたそうです。花言葉は「しばしの慰め」初夏のこの時期には、とても涼やかで気品のある花ですね。気持ちがほっとします。