栗山川の源流を目指して!

 

ここでちょっと歴史のお勉強。
   「栗源」の名前はどこからきたと思いますか? 明治22年、栗源村が誕生するとき「栗山川の源」の意味からつけられたそうです。
   では、栗山川の名前はいつ、どのように、できたかわかりますか?
   平将門の乱(935~940)より少し昔に、朝鮮半島高句麗から渡来した人が栗源に村をつくりました。ある伝説によると『今から1200年あまりのこと、大畑の小字コウジャパラ、高萩小字下田から大夫作り付近へ、高句麗からの渡来人がやってきました。
   そのころの野山には野生馬が住んでいましたが、高句麗人は乗馬や狩猟が得意でありましたので、よいところへ来たと思ったそうです。
  ここで彼らは狩猟と開拓(農耕)の暮らしを始めました。川から水をひき進んだ技術で稲を作り畑を耕し始めたそうです。
   このころ、渡来人たちは村の名を、故国高句麗の一文字をとって「高萩」として、村を流れる川の名前を『句麗山川』とつけたそうです。
   村中どこの田んぼも「句麗山川」の恵で良田、住み良い村になってきましたが、霊亀2(716)年、朝廷の命令で渡来人達は武蔵の国へ引っ越していきました。その後『句麗山川』はいつしか、『栗山川』に変わってしまったと言う話です。
ここが源流らしきところでしたが
下水になっていました。
空がきれいです。


 現在の栗山川は両総用水と合流して、今も地域の田んぼに豊富な水を与えています。今もなお高萩の地には競争馬を育てている場所があります。なんだか1200年の長い歴史を栗山川とともにさかのぼり、考えてしまいました。(*^_^*)
 引用資料:栗源誕生百周年記念誌『栗源の百年』富澤昌作氏の文より