校長からのメッセージ

校長のことばコラム10 方言の不思議(1)方言の違いに隠された歴史

 青森県の野辺地町と平内町の境に、馬門と狩場沢という集落があります。どちらも陸奥湾に面しており、国道4号線で結ばれたこの両集落、間はほぼ平坦で、地形的な障害は、ほとんどありません。

 ところが、この2つの集落では、使われている言葉(方言)がまったく異なっています。単語だけでなく、イントネーションなど、広い範囲にわたって違いが見られます。


 なぜこのようなことが起こったのでしょうか?

 

 実は、この2つの集落は、江戸時代には南部(盛岡)藩と津軽(弘前)藩の境に位置していました。

 南部藩と津軽藩は、互いに強く対立していたことで知られており、その影響は現在の青森県にも残っています(※もともと辺境の港町に過ぎなかった青森が県庁所在地となった背景にも、この対立があるといわれています)。

 この対立の原因をたどると、弘前藩の津軽氏は、もともと南部氏の家臣であったことに行き着きます。

 戦国時代末期、津軽氏(※当時は大浦氏)は、南部氏の内乱に乗じて独立を果たしますが、その過程で、当時の南部家当主(本家に養子に入っていた人物)の実父を殺害してしまいました。

 さらに、南部氏の混乱が収まらないうちに、いち早く豊臣秀吉に接近し、本領安堵の許しを得ます。天下人の命に逆らうことはできず、南部側は、討つべき相手でありながら、手出しできないまま見過ごすほかありませんでした。その無念は、想像に難くありません。

 戊辰戦争においても、南部藩が奥羽列藩同盟に加盟したのに対し、津軽藩は同じ奥羽の藩でありながら新政府軍側につくなど、江戸時代の終わりまで両者の対立が解消されることはありませんでした。

 こうした背景から、江戸時代を通じて両藩は互いを最大の仮想敵とみなし、藩境での交流を厳しく取り締まりました。その結果、約250年にわたる分断が続き、すぐ隣り合う集落でありながら、まったく異なる方言が使われるようになったのです。